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「ムーミンとトーベ・ヤンソン」書評 紡いだのは少数派と戦争の寓話

評者: 椹木野衣 / 朝⽇新聞掲載:2023年01月14日
ムーミンとトーベ・ヤンソン 自由を愛した芸術家、その仕事と人生 著者: 出版社:河出書房新社 ジャンル:伝記

ISBN: 9784309291994
発売⽇: 2022/10/18
サイズ: 26cm/111p

「ムーミンとトーベ・ヤンソン」 [著]ポール・グラヴェット

 北欧生まれのキャラクター「ムーミン」は、日本でもとても人気がある。しかし作者である芸術家、トーベ・ヤンソンについてはどうだろうか。本書はそのトーベの生涯について、豊富な図版とともに評伝的にまとめた一冊だ。かくいうわたしも、ムーミンのイメージがトーベの若い頃、弟とカントをめぐる哲学的喧嘩(けんか)で苛立(いらだ)ち、家の離れのトイレの壁に「捨てゼリフ」として描いた妖精(トロール)の落書きがもとになっていたとは驚いた。
 その写真は本書でも見ることができるが、ユニークな鼻はすでにムーミンそのものだ。そのかたちは「切り株を覆う雪が、まるで大きな白い鼻のように垂れ下がっている」のを見かけた印象によるという。画家であったトーベの着想源が、つねに厳しくも発見に満ちた自然とともにあったことを示す逸話だろう。
 けれども、すべてが順風満帆だったわけではない。第2次世界大戦を終えてまもなく出版された第1作は翌年までに219部しか売れなかったし、その数年後に公開された児童劇版は「地獄からやってきた雌馬(ひんば)と有袋類(ゆうたいるい)」と酷評される有り様だった。だが、こうした社会とのすれ違いには理由があった。トーベはフィンランドで生まれたが、母語はスウェーデン語で、しかも同性愛者(レズビアン)であった。
 加えて1914年に生まれたトーベの生涯に2度の世界大戦が落とした影は深く長く尾を引き、随所で避難や別離、空襲やなかには原爆を思わせる終末的なイメージが、ただし自然災害のかたちをとって姿をあらわす。つまりムーミンの物語はマイノリティと戦争の寓話(ぐうわ)でもあるのだ。
 こうした要素をたっぷりと含んでいるがゆえに、ムーミンとその仲間をめぐる物語は今日でもなお、たんなるファンタジーに留(とど)まることがない。そのことは本書に収められたトーベ――古ノルド語で「美」の意――の手による多くの素描や水彩画にも及んでいる。
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Paul Gravett ロンドンが拠点のコミックス批評家、作家。展覧会のキュレーションも手掛ける。