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不器用は意外と使える 津村記久子

 不器用だ。常に何かやらないといけない家事があるので、在宅勤務なのに時間が余らない。休憩時間は確保して積極的に憩っているけれども、暇な時間はない。仕事をしていなければ、だいたい溜(た)まったプラスチックゴミの洗浄をしているか、溜まった食器を洗っている記憶しかない。言い換えると、仕事をして、溜まったプラスチックゴミや食器を洗っているだけで時間が過ぎていく。

 休憩中や休みの日は、BSで録画した過去の二時間ドラマを、お茶を飲みながらただもうぼーっと観(み)ている。こう書くと娯楽の少ない人みたいだけれども、自分自身は至福を感じている。文章のことを考えて絶え間なく判断しなくていいし、食器を洗っていない。このプラの袋をどう開いてきれいにすればいいのかと悩んでいない。うれしい。

 一見不自由そうに見える「不器用で時間がない」だけれども、逆に「あれもこれもできていないといけない」からは自由でいられることに最近気付いた。なにしろ不器用だから、二つぐらいのことしかできなくて当然だ。化粧が適当で靴下が破れていても、「不器用で時間がないんで仕方ないですね」で終わらせる。「世の中ではこういうことが流行(はや)っていて主流だからちゃんと時間を捻出して追いかけないとだよ」というような雰囲気を各媒体から感じても、興味が持てないことからは「いやープラゴミを洗わないといけないんで」で逃げる。

 幼稚園の時は本当に不器用で苦労した。不器用というだけで同じ年の人たちに泣くまで怒られた。あの人たちは今どうしてるんだろうか。何でもできてしまって時間が余って大変なんじゃないだろうか。

 道徳的に問題がなく、特に自分がこだわっていない部分を、世間が同調圧力で「ちゃんとしろ」と言ってきたら、「不器用で時間がないんで」と返すのをあえておすすめする。ゴミ捨てが大変なんで。ほんと手に余りますよね。意味のあることだと思うんでやりますけどね。=朝日新聞2023年1月18日掲載