1. HOME
  2. インタビュー
  3. 安堂ホセさん「ジャクソンひとり」インタビュー マイノリティーに武器となる言葉を。カジュアルに、普段の温度で

安堂ホセさん「ジャクソンひとり」インタビュー マイノリティーに武器となる言葉を。カジュアルに、普段の温度で

安堂ホセさん=家老芳美撮影

「小説」ということも忘れる小説を

――安堂さんは初めて書いた小説(未発表)が文藝賞の最終候補に残り、翌年、2作目として書いた「ジャクソンひとり」で文藝賞受賞となりました。前作も主人公はブラックミックスでありゲイでもある設定だそうですが、これは安堂さんご自身がずっと抱えてきたテーマなのでしょうか。

 そうですね。同じようなマイノリティーの人に、武器となるような小説を届けたいと、強く思っています。ただ、私小説ではないんですよ。『ジャクソンひとり』は、自分と似た属性の人物で、ちゃんとフィクションを作れるかどうかという挑戦でもありました。

――物語は、ジャクソンのTシャツにデザインされたQRコードが、携帯カメラを向けた同僚に偶然読み取られ、ブラックミックスの青年が凌辱されている画像に飛び、見た人みんながその青年をジャクソン本人だと誤解する、というところから始まります。一気に引きこまれました。差別がテーマでありながら、エンタメ色も強いですよね。

 純粋にセンチメンタルな物語にしてしまうと、かえって当事者が楽しめないフィクションになってしまうこともあると思います。あるいはそれをフィクションとして受け取ってもらえず、「辛い思いをした人が辛い経験を書いた」とそれこそ私小説的に内容を決めつけられてしまう。そうではなくて、自分と同じ立場の人に楽しんで読んでもらえるものにしたいと思いました。ゲイを題材にした表現って、性的な描写やネガティブな側面がほぼない〝ゆるふわ″なタッチか、地上波のドキュメンタリーのような“センチメンタル”だけを強調するタッチか極端で。そうではなくて、どのテンションにも傾かない、普段の実態に近い温度の小説を作ろうと思いました。

――冒頭の「似ている男なんて世界中に何人もいると思う。だけど、ここは日本で、この外見でこんなふうに扱われるのは、ジャクソンひとり。」という文も、するする頭に入ってきます。リズムや言葉の響きにもこだわったのでしょうか。

 七五調のような日本語として納まりのいいリズムは所々で踏んでいます。セリフに関しては海外ドラマの日本語字幕を意識しました。ぱっと見て瞬時に頭に入ってくる文字数や、異文化が持ち込まれるときの演技性とかムードを借りている部分も多いです。あとは、あえてみんなが普段使いまわしている言葉だけを使うように意識したりとか。

 小説を読んでいることを忘れてくれるくらい面白いものを書きたいと思っています。自分の小説を読む人に「文学に触れる」とか構えてほしくない。ラップ聴くとかドラマ観るとか、カジュアルに何かを消費するのと同じテンションで読んでほしいんです。

その人の武器になる言葉を探して

――物語はその後、ジャクソンと同じブラックミックスであるジェリン、エックス、イブキの3人が登場し、肌の色によって個人の人格が無視され、ひとからげにされることが繰り返し描かれます。

 ここはかなり自分の体験が反映されていますね。でもこれって、他のマイノリティーにもあることだと思います。女性だからこうなんでしょ、アジア人ってこうだよね、って。だから、全く同じ境遇ではない誰かにもぴんときてもらえるんじゃないかと、自分の感じたことをそのまま素直に書きました。

――漫画について「白紙に黒い線引いて、はい、輪郭です。はい、白紙部分は肌です。自分たちと同じ人間です、って素直に思い込める人間なんて、どんだけお気楽なんだよって感じ。」と言ったり、〈褐色〉を「アフリカンもラテンもタンニングも意図的に一緒くたにするクソみたいな言葉」と言ったり、彼らの言葉がそれを問題とも感じていなかった自分にグサッと刺さりました。

 小説の中の言葉って、そのまま自分の武器にできるんですよね。誰かに言い返すときにそのまま使えたり。小説を読み始めた中学生時代はちょうどマツコ・デラックスさんがテレビに出はじめた頃で、当時マツコさんの返しとかからも戦い方を学んでいたような気がします。そういう、かつての自分が「観戦」をしたような感覚で、自分の小説が読まれたらうれしい。書いた言葉がいかにその人の武器になってくれるかを考えて書いてます。漫画のシーンについては、まだノータッチだぞ、これはめっちゃディスれるぞって以前から狙いをつけてました(笑)。

――発表後の周囲の反応はいかがでしたか。どうしても、安堂さんとジャクソンが同一視されがちな作品だと思いますが……。

 それもあって、ブラックミックスでかつゲイという人物を4人登場させたんです。4人にすることで、ある言動が、その人物の個性なのか、その属性全体を一般化したものなのか、明確に書き分けることができる。自分と作品との距離は気を付けました。

 周りの人にはあんまり小説書いてるって言ってないんです。それはやっぱり、容赦なく書きたいから。バレた場合には「けっこう君を傷つけることも書いてるかも」って言って渡してます。そのおかげか、みんな遠慮して感想を言わずにいてくれます(笑)。

#MeTooに勇気もらった

――この小説には、ゲイの性被害や性暴力も描かれます。被害者が男性であることやマイノリティーであることで告発しにくかったり、告発してもまじめに取り合ってもらえなかったり。昨今の#MeTooをどのように捉えていますか。

 #MeTooは主に女性たちが声を挙げて始まった運動ですが、自分も勇気をもらいました。あの人たちのやっていることから私が学ぶこともたくさんあって。そういえば、別の取材で好きな作家を10人挙げたら全員女性作家だったんですけど、それは理念として女性作家のものを読もうとしたのではなくて、必要なものに手を伸ばしたら、それが女性の書いたものだったんですよね。

 今では信じられないですが、以前は「じつはこういうことが嫌だった」とみんなで共有することが「傷のなめ合い」「愚痴」みたいな言葉で切り捨てられがちだった。それをちゃんと社会運動として捉えなおした面が#MeTooにはあって、前例ができたことで私も小説を書きやすくなったと思います。

――彼ら4人は互いの服を着て入れ替わり、それぞれの復讐を果たそうとします。入れ替わりの手段が「服」で、ファッションがアイデンティティーの重要なものとして描かれていると感じました。

 僕が服好きっていうのもあるんですけど、そのきっかけが、高校の時、値段の高い服を着ているほど職質されないことに気づいて(笑)。人体そのものの価値が服という付属物によって全然変わるんですよね。あと例えば、自分は日本にあまりいない見た目なんですけど、海外にいくとどの国の人にも見える見た目らしくて。ブラックの人に、“髪型や服で世界中の誰にでもなれる”っていう身近なフィクションとして「服」を提示してみたいと思いました。

――常に当事者へ向けて書いているんですね。この先もルーツやセクシュアリティーというテーマは変わらないのでしょうか。

 よく「作者が異性の主人公を書いたら一人前」みたいな考えかたもあると思うんですが、そういう文芸上の挑戦のために別の属性を書く気は今のところないですね。なるべく“ノンケ”ナイズド、“純ジャパ”ナイズドしないで書くことは続けたいです。ただ一方で、自分とは関係のない世界へ没入できるのがフィクションの魅力だとも思います。じゃあ逆算して、ブラックミックスの人やゲイの人にとって丁度いい非現実感や虚構感ってどんなものだろう?ということも最近は考えます。どうやったらこの武器を届けられるのか、どんな書き方をすればいいのかは、これからも探っていきたいです。