インタビューでも雑談でも、いつから作家になろうと思ったのかとよく聞かれる。テレビと漫画ばっかり見ている子供で、この面白いものを自分も作りたいと気がついたら思っていた。だから、少なくとも小学生になる時分からなにか物事を見聞きすれば「これをどう書くか」を考えるのが習慣みたいなものだった。
その「習慣」に助けられていたことがあったかも、と最近よく思う。驚くことや楽しいことはもちろん、嫌なことがあったときも、いつかこの場面を書こうなどと思っていた。たとえば、私は体を動かすことが全般に大変不得手で、ドッジボールやリレーの班が決まると嫌味(いやみ)を言われたりしたが、登場人物が逆境にある場面として文章を想像していた。
「逆境」として場面を盛り上げるためには、どの部分がどのように嫌なのか、理不尽なのか、強調する部分を考える。頭の中で文章での伝え方を繰り返して想像しているうちに、自分ができないこと自体がつらいのか、誰かの言ったどの部分が嫌なのか、それはなんで?、みたいなことを考えることになる。当時はもちろんこんな分析をしているとは意識していなかったが、振り返ってみればそれで出来事そのものから距離を取ることができていたところがある。
と、書くと、このごろ気にかかっているのはなんでもすぐに強い側の言葉に書き換えられてしまうことで、「だからつらいことや腹が立つことがあっても文章にしてみて乗り越えなさい」などと、子供や困っている人に対して強い立場の人が言う根拠になったら不本意である。
そのときの私にゆっくり話を聞いてくれたり助けてくれたりする人がいればもっとよかったと思うし、つらかったことに変わりはないし、ただ、今振り返ってみると、たまたま自分にはいい方向に作用した経験だったかも、というだけの話だ。そして、作家になったら書こうと想像していたそれらのシーンは、実際に小説に使えたことはない。=朝日新聞2023年2月1日掲載