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ルーティーンの味方 津村記久子

 生きていてもっとも心許(もと)ないのは、仕事をするために夜中に起きて布団から出なければいけない時だ。今年は寒いからか、巣から追い出されるように悲しい気持ちになる。

 起き抜けの自分は、普段の自分の三割ぐらいの存在でしかない。完全体にはほど遠い。まずセラミックヒーターを点(つ)けて前に行く。部屋着の上にコートぐらいの丈のフリースの上着を着る。ここまではいい。足元は煩雑だ。裏起毛の靴下を二足重ね履きして、レッグウォーマーを身に着けて、部屋着の上から穿(は)ける大きなシャカシャカのパンツを穿いて、さらに室内用の防寒ブーツを履く。この時点ですでに五点足元に身に着けているのだが、さらに寒い日は、もう一枚レッグウォーマーを履くので六つも防寒具を装着することになる。鎧(よろい)を着脱できるフィギュアとかプラモデルになった気分になる。

 起きて過ごすだけでもこの体たらくだが、仕事にかかる前にやっていたいことはもっと複雑で、いつも不足を感じながら仕事をしている。なので最近、用意するもの、やることをリスト化してみた。物では、タオル・膝(ひざ)掛け・メモ用紙・携帯(調べ物用)・前の携帯(メモ用)・ティッシュ・紙袋(ゴミ箱代わり)・ガムテープ(デスク上の気になるゴミ取り)、行動では、トイレ・紅茶を淹(い)れる・顔を洗う、が必要で、合計十一点もある。タイプライターは除く。メモ用紙とメモ用携帯の両方が必要なんてどうかしているし、ここまで用意しないといけないって……と自分という機関のポンコツぶりに愕然(がくぜん)とするが、それが自分なので仕方がない。

 これらをいろいろ事前に用意するようになって、なぜだか孤独感が減った。おそらく、一人で仕事をしているようで一人ではないということに気が付いたからだろう。わたしには、タオルを作ってくれた人も、紅茶を育ててくれた人も、タイプライターや携帯を組み立ててくれた人もついている。こんなに必要なもので満ちていて何が一人なのか。=朝日新聞2023年2月15日掲載