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自由への靴下 津村記久子

 気が付いたらヒーターの前で部屋着のままじっとしている。部屋の中で主に自分がいる場所が、エアコンの風が来にくい所なので手軽なヒーターにスイッチを入れてしまうのだが、そっちは少し離れるとすぐに寒くなる。なのでずっと前でうずくまっているのだが、「うずくまる」以外に行動の選択肢のない、不自由な時間だ。他のことをしようと思うなら、装備を整えなければならない。

 冬は部屋着の上にいろいろなものを着る。着る毛布、レッグウォーマー、厚手の靴下を二重に、裏地がフリースのシャカシャカ素材のパンツの五点に及ぶ。ちょっとした外出より身に付けているものの点数は多いのではないか。夜中に起き出して、これらのものをすべて身に付けて仕事をしているのだが、二回に一回は面倒で仕方がなくなる。五つも何かを身に付けるぐらいなら、ずっとうずくまっている方が楽だ。お茶も淹(い)れられないし、テレビか携帯を見ているだけだが、それでも嫌だ。

 夜中の三時とかにヒーターの前で携帯を見ていると、本当に行き詰まる。何をしているのだと不幸な気分になる。絶対にろくなものを見ていない。あっという間に気分も空気も澱(よど)んでくる。

 仕方ないので、自分と交渉する。まずはいろいろあるもののうち、靴下と着る毛布から始めよう。その二つでさえ順番が決められないのなら、まずは靴下だ。底冷えするからな。そのあとに着る毛布だ。それでしばらく過ごしてると、手持ちぶさたになってきてレッグウォーマーも穿(は)くし、フリースのパンツも穿くようになる。自由になりたいだろう? ならば靴下だ。靴下を穿くんだ。そのようにひたすら自分に説く。

 靴下を穿いたら後は惰性だ、ということは今年の冬に発見し、着る毛布から身に付けていた去年より早くわたしは自由を得られるようになった。その冬ももう終わる。付き合い方を覚えた頃に季節は去る。あなたは必死だったけど、こっちはそうじゃなかったんだよねって感じで。=朝日新聞2025年03月19日掲載