大きな生き物に引きずり回され、なすすべもなく身を任せるしかない。そんな読書の快楽を思う存分味わえる小説が放たれた。川上未映子さんによる3年半ぶりの長編『黄色い家』(中央公論新社)だ。格差や貧困といった現代社会の暗部と向きあいながら、善悪の彼岸に読者をいざなう。
物語の始まりは2020年春。総菜店で働く伊藤花は、偶然たどり着いたネットの記事に、ずっと忘れていた吉川黄美子の名前を見つける。若い女性を監禁し、重傷を負わせた罪に問われ、裁判にかけられた被告として。そこから一気に20年以上前の記憶がよみがえり、女4人で家族のように暮らした日々が回想される。
「葬っていた記憶や過去が、現在を不安にさせるような雰囲気だけがまずあって」。新聞の連載小説として発表された本作の始まりについて、そう振り返る。「お金、家、犯罪をしっかり書こうと。みんながわーっとなっていくカーニバル感を書きたかった」
社会からはじき出され、肩を寄せ合うようにして生きる彼女たちは懸命に働くが、次々と試練に見舞われる。貧困の連鎖から抜け出そうともがくことで、どうしようもなく罪を犯してしまう。主人公の花が物語の中ほどで、絞り出すようにして語る言葉が胸を打つ。
〈正しくないよ、そりゃ正しくはないけど、でも間違ってるわけじゃない。そう感じるの〉
「人間の責任感とか一生懸命さは、場所や状況を選ばない。誰が花を責められようか、というシリアスな話ではあるんだけど、生きるって、もっとドタバタだから、本当に。泣き笑いで倒れ込んでいくようなエネルギーを感じてほしい」
それぞれの登場人物が、そこに生きているかのような存在感を持つ。「今回は作家の文体とかヴォイスとかじゃなくて、これまで出会った人や過ごした場所が私に与えてくれたもの。のっぴきならなさとか、かなしさとか、ままならなさみたいなものが、物語が進むにつれて綿菓子が膨らんでいくみたいに出てきて。書かせてもらった、という気持ちがすごくします」
19年に出した一つ前の長編『夏物語』は40カ国以上で刊行が進み、『黄色い家』も日本での出版を前に英訳が決まった。昨年は『ヘヴン』がイギリスの国際ブッカー賞で最終候補に残り、今年は『すべて真夜中の恋人たち』が全米批評家協会賞小説部門の最終候補に選ばれている。
海外で高まる評価について、「読まれることが本にとってはすばらしいことだから、ありがたい」と喜ぶが、一方で複雑な思いもあるという。「賞の候補になったときに、私が日本の文学を代表しているように思われるところにジレンマがあって。本当は、すべてのカテゴライズされるものから個別性を取り出すのが文学の仕事なはずなのに」
カズオ・イシグロを読んでもイギリス文学だと意識しないように、マーガレット・アトウッドをカナダ文学として読まないように。「カテゴライズするラベルみたいなものがはがれていくときに、小説はもっと生き生きと読まれるんじゃないかと思うんです」
そうなることで、「みんなが思い込んでいる前提がないところから立ち上がってくるものとして読まれることがあったらいいなと思います」。力強い物語は、それだけで国や人種を超えていくはずだ。(山崎聡)