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「宝ケ池の沈まぬ亀Ⅱ ある映画作家の日記2020-2022」書評 病床から生まれた文学性と批評

評者: 椹木野衣 / 朝⽇新聞掲載:2023年03月04日
宝ケ池の沈まぬ亀 2 ある映画作家の日記2020−2022 著者:青山 真治 出版社:boid ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784991239113
発売⽇: 2022/12/25
サイズ: 19cm/586p

「宝ケ池の沈まぬ亀Ⅱ ある映画作家の日記2020-2022」 [著]青山真治

 日記文学の未来の古典になりうる傑作ではないか。およそ六百頁(ページ)、足掛け三年を畳み込んだ本書を読み終えて、確信はより深まった。時がコロナ禍とぴったり重なることも、のちに振り返るうえで少なからぬ意味を持つけれども、それ以上に、ひとりの映画作家が寄る年波のなかで死に至る病に侵され、その日々のなかでむしろ「まっとうな余生」を回復し、その果てに映画と読書と音楽を通じてある種の霊性へと辿(たど)り着こうとする様は、長大なロードムービーを見終えたときのような読了感を、記憶の奥深くに刻みつける。
 読了感と言ったけれども、実は本書は未完(この項つづく)で終わっている。最終章は著者の死後、パソコンのハードディスクから発見された未発表の文章だからだ。そこで著者は、鎮痛のための医療用モルヒネの投入による意識の混濁のなかで、現実と夢想との双方を行き来しながら、しかし記述は淡々と重ねられ、やがて突然断絶される。確かにこれは「終わり」ではない。わたしは「この項つづく」の先を、自分のからだを通じて書き継いでいくことを託されたと感じた。老いと病とやがて訪れる死は、人間である限り避けられない宿命だからだ。
 こんな書き方をすると敬遠されてしまいそうだが、不思議なことに、あっけらかんとするほど重苦しさはない。日々の食があり、ときどき旅があり、ふだんは家事に時間をとられ、事務的な手続きに四苦八苦しながらも、つねに体温ある家族の気配が満ちている。随所で名言も飛び出す。「学校で無理に買わされる縦笛じゃなくて、用があったら口笛を吹きな」なんて思わず笑ってしまった。古今東西におよぶ映画作品の鑑賞記は、それ自体ずば抜けた映画批評として読めるものだが、批評とは元来こんなふうに生活のなかで立ち上がってくるはずのものではなかったか。本書には追悼でなく満場の拍手が似つかわしい。
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あおやま・しんじ 1964~2022。映画監督。2000年、「EUREKA」でカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞。