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五十五歳の答え合わせ 澤田瞳子

 二十代から続けている献血が、間もなく延べ七十回になる。体調不良や多忙で行けぬ時期もあったが、近年、献血は私の生活の一部なのだ。

 残念なのは、十年前から喘息(ぜんそく)を患い、服薬等の関係で骨髄バンクドナーの登録を一時中断中の事実だ。骨髄バンクとは白血病等の病気で正常な造血が出来なくなった患者さんに、白血球の型が合うドナーの骨髄や造血幹細胞を移植するための登録・仲介システム。血縁関係にない相手と白血球の型が一致するのは、数百から数万人に一人と言われ、多くの患者さんを救うためにはより多くのドナー登録が必要なのだ。――と書くと大変な検査があると思われがちだが、実は献血ついでに「骨髄バンクドナーに」と言えば、少し多めに採血するだけで登録は終わる。

 かかりつけ医からは、「十分治る喘息なので、いずれドナー再開できる」と言われたが、実は骨髄バンクは五十五歳未満と年齢制限がある。最初に登録を中断したときは、五十五歳は随分先と思った。だが最近は喘息完治が早いのか、五十五歳が来るのが早いのかと考えてしまう。

 この十年、大した変化があったわけではない。高校の友達と会えば、以前と同じテンションで騒ぎ、つまらぬ話で笑う。ただ昔の如(ごと)く徹夜で飲めば、翌日は使い物にならないし、脂っこい物を食べると胸やけする。若い頃は現在を見つめることに忙しく、明日、来年、五年後を思う暇はなかった。だが今は現在を確かめると共に、少し先と自らの来し方にちらりと目を向けずにはいられない。そもそも己の変化をこう振り返る行為自体、年を取った事実の表れだろう。ただそれが数え切れぬほど多くが通ってきた道で、親戚や年上の友人が話していた様々を今後追体験するとすれば、それぞれの人生は異なっているようで、実は根本の部分でつながっているのではないか。

 ならば年を重ねるとは、共感が増えることと同義なのかもしれない。これについては五十五歳を迎えたとき、答え合わせをしたい。=朝日新聞2023年3月22日掲載