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読書で異界へ 怖い旅・怪しい旅に誘う3冊

嘘かまことか、いかがわしくも魅力的な秘境小説

 橘外男『人を呼ぶ湖』(中公文庫)は、戦前から戦後にかけて旺盛な創作意欲を示した大衆作家・橘外男のベストセレクション。怪談とならんで著者の十八番である、海外を舞台にした怪奇幻想小説が8編収められている。

 表題作はイタリア・オーストリア・ユーゴスラビアの3カ国にまたがる山深い地方が舞台。都会から来た若者たちが、茶店のおかみさんが止めるのも聞かず、伝説のある湖に出かけていく。その結果、スイスの大富豪の娘であるジュリエットが失踪。湖のそばには彼女のものらしい遺留品が散乱していた。悲嘆に暮れるジュリエットの父ユイスマン氏は、潜水夫を雇って湖に派遣。かれらは美しい湖の底で、この世のものとも思われない神秘的な光景を目にする。

 悲劇的な伝説に彩られたベルサ湖という湖は、おそらく作者の創作だろう。しかしネット検索で見つからないからといって、虚構だと断言できないのが橘作品の面白さだ。見てきたような嘘をつくことに長けた著者は、奔放な想像力と迫真の語り口を駆使し、もっともらしい「実話小説」を生み出している。果たしてこれは嘘か、まことか。

 アンゴラの高山地方を舞台にした「令嬢エミーラの日記」、ヴェネズエラの呪われた島を描いた「聖コルソ島復讐奇譚」、パラグアイとボリビアの国境地帯に探検隊が分け入る「マトモッソ渓谷」。よくもまあ訪れたこともない土地のことを、堂々と書けるものだと感心してしまうが、そこで扱われている事件もまた奇怪千万。怪しい舞台にふさわしい、常軌を逸した愛憎劇が繰り広げられ、結末には必ずといっていいほどどぎついショックシーンが準備されている。

 著者の秘境小説ではおなじみの未確認生物(UMA)ももちろん登場。ネット検索の時代でも追いつくことができない「孤高の法螺吹き」(倉野憲比古氏による解説より)の夢想に触れ、怪しい世界旅行を楽しんでいただきたい。

ラヴクラフトの世界を黒人の側から語り直す

 マット・ラフ『ラヴクラフト・カントリー』(茂木健訳、創元推理文庫)は恐怖と危険に満ちたアメリカ旅行を描いた長編小説。ただしその恐怖は、幽霊や怪物によってのみもたらされるものではない。

 物語の舞台は1950年代、朝鮮戦争から帰還した主人公の黒人青年アティカスは姿を消した父を追って、伯父のジョージ、幼なじみのレティーシャとともにマサチューセッツ州北部にある町・アーダムに向かう。しかし公民権法制定前のアメリカで、黒人が長距離移動するのは簡単なことではなかった。

 3人の行く所どこにでも差別主義者が現れ、ひどい言葉を投げつけたり、暴力を振るってきたりする。ジョージは黒人旅行者に向けて宿やレストランを紹介する『ニグロのための安全旅行ガイド』を発行しているが、それとて万能ではない。白人にとっては楽しい長距離ドライブでも、黒人たちには命がけの旅なのだ。

 アーダムに到着した一行が、豪華な邸宅での秘密結社のディナーに招待されるあたりから、物語はオカルト色を強めていく。高慢な魔術師ブレスホワイトがアティカスを呼び寄せたのはなぜか? アティカスとその仲間たちは、白人魔術師の霊的闘争にいやおうなく巻き込まれていくことになる。

 タイトルは20世紀怪奇小説の巨匠、H・P・ラヴクラフトに由来。「クトゥルー神話」の創始者として知られ、世界中に愛読者をもつラヴクラフトだが、人種差別的な考えの持ち主だったことが明らかになっている。ラヴクラフトに限らず、大衆文化の中ではいつも黒人は悪役か脇役だ。しかしアティカスはホラーやSFを好むことをやめられない。このひねった設定に本作の妙がある。

 本作はいかにもラヴクラフトが書きそうな禁断の書や魔術師の物語を、そこから排除されてきた黒人の側から語り直したものといえる。ホラーでおなじみの幽霊屋敷やジキルとハイドのモチーフが、差別に苦しんでいる黒人の目にはこう映るのか、というのが新鮮な驚きだった。原著刊行は2016年で、2020年にはテレビシリーズ化もされた。人種問題に揺れるアメリカとホラーの今を知るうえで必読の長編といえよう。

ディープスポットをめぐり、生と死に思いを馳せる

 3冊目は花房観音『女の旅』(大洋図書)。いつも紹介している怪奇幻想小説とはジャンルが異なるが、最近出た旅の本といえばこれを外すわけにはいかない。『うかれ女島』『果ての海』などの作品で知られる作家が、日本各地のディープスボットを訪ねたエッセイ集だ。

 踊り子の堂々たるパフォーマンスにハードボイルドを感じた広島県のストリップ劇場、売春島として知られた三重県の小さな島、下半身の悩みを抱えた女性たちが訪れる和歌山県の神社。生と死の匂いが濃厚に立ちこめる場所を求めて旅する著者は、そこで生きたさまざまな女性たちに思いを馳せながら、性欲に翻弄され、セックスを求めてきた自らの半生を回想する。

「私はずっと裸とセックスの世界のおかげで、生き延びてきた」(「小倉」)。「私は長い間、ラブホテルでしかセックスをしたことがなかった」(「姫路」)。思わずどきりとするような一言があちこちにある。女性の本音というにはあまりに切実で、物狂おしささえ感じさせる性への渇仰。性欲に正直に生きるとは、こんなにも難しく、切ないものなのかと感じずにはいられない。

 だからこそ、苦難の旅を経た著者が五十歳を超えて、「こんなぐちゃぐちゃの人生でも私は生きてきたのだ」と書いているのを読むとほっとする。個人的に印象深かったのはSMイベントを鑑賞した一夜について書いた「六本木」の章だ。「今でも六本木は、苦手な場所で、気後れする。けれど、『外道の群れ』が、現代にも存在するのを思い出すだけで、正しさが人を叩く息苦しいこの世界に殺されず、なんとか生きていこうと思える」。

 ぐちゃぐちゃでも、正しくなくても生きていける。届くべき読者のところに届いてほしい、暗く美しい人生讃歌である。