ISBN: 9784344040960
発売⽇: 2023/04/05
サイズ: 20cm/421p
「はるか、ブレーメン」 [著]重松清
人がこの世を去るとき、これまでの人生が「走馬灯」として心に浮かぶのだとしたら、あなたはどんな光景を見たいだろうか。あるいは、その問いはこうも言い換えられるかもしれない。あなたは愛する人が旅立つとき、どんな走馬灯を見てもらいたいだろう――と。
本書で描かれるのは、一筋縄ではいかないそんな問いをテーマにした物語だ。
主人公である小川遥香は、山陽地方の町に暮らす16歳の高校生。潑溂(はつらつ)とした性格をしているが、幼い頃に母に捨てられ、父親もいない孤独な境遇でもある。育ててくれた祖母も亡くし、一人で暮らしている。
ある日、そんな彼女のもとに東京から奇妙な手紙が届く。それはブレーメン・ツアーズという「人生の思い出をめぐる旅行会社」からのものだった。人の走馬灯をデザインできると話す謎めいた男・葛城と出会った彼女は、お調子者だが芯のある同級生・ナンユウとともに、ある一人の認知症の女性の“走馬灯づくり”を手伝うことになる。だが、その女性は依頼主の息子に言えなかった秘密を抱えていて――。
読んでいると、人にとって「記憶」とは何か、「大切な思い出」の持つ意味とは何か、と考えずにはいられなかった。
後悔のない人生など存在しない。思い通りの人生を歩める人もいない。ただ、いくつもの悔いが残る人生とは、果たして本当に不幸なことだと言い切れるのだろうか。
「大切な思い出は、正しい思い出とは限らない」と葛城が語る場面があった。人は誰もが間違える。しかし、間違いを全て切り捨ててしまえば、大切なことは残らない、と葛城は言う。
彼にある能力を見出(みいだ)された二人はちょっと危なっかしい冒険の中で、様々な記憶に触れ、自らの家族への思いを見つめていく。遥香は自分を捨てた母を思い、ナンユウは早世した兄に対する両親の気持ちに触れる、というように。
少しずつ成長を遂げる二人の姿を読むうち、読者はきっと、こう思うようになるはずだ。遠い過去の色褪(いろあ)せた哀(かな)しみやつらい記憶にも、いま一度、色を与えてみてもいいのかもしれない。なぜなら、そのような記憶もまた、「いま」を精一杯(せいいっぱい)に生きる自分自身を照らす、かけがえのない光であるのだから、と。
私は本書に込められたメッセージに強く励まされるものを感じ、何度も胸が詰まった。それはまさに作家・重松清のマジックであり、物語というものの力が心に強く響いてくるかのようだった。
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しげまつ・きよし 1963年生まれ。作家。91年、『ビフォア・ラン』でデビュー。2001年、『ビタミンF』で直木賞。14年、『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞。近著に『ひこばえ』『木曜日の子ども』など。