私たちは「そこに見える景色」「そこにいる人」以外のものをたくさん見る。本の文字、テレビに映る人、スクリーンの映画、電子掲示板、スマホの写真、アニメーション、ゲーム機の映像。それらすべてが「私の現実」として、視覚の記憶に焼き付いていることを人は通常忘れている。「リアリティ」、とはなんだろう。リアリティがある、とまるで写真のような絵を見るとき、もしくはあまりにも「そのまま」描かれたデッサンを見るとき、そう言葉にしてしまうが、でも私たちが知ってる「リアル」は「目の前にあるもの」「そこに見えるもの」だけで本当は構成されていない。私たちは液晶画面に映し出された映像や写真も混ざった現実の中に生きていて、もはや、「人生で私が見たもの」のうち、かなりの割合を「画面を通じた何か」が占めている。それらも、今の私たちの「リアル」なんだ。その事実に人はなかなか気づけないだけだ。
豊井さんのドット絵は、そのリアルの中にある。「そこにあるもの」そのままではないはずなのに、絵はいつも「私のリアル」に共鳴する。写実的なものだけが現実を構成すると思い込んでいる人間に、新鮮な水のような「リアル」を見せる。私はこの景色を知らない。はじめて見た絵であるはずなのに、懐かしいと思う。生きてきた時間の中でたしかに見てきた「何か」を、あっさり忘れ、大切なものではなかったと勝手に決めつけて遠くに置いてきた「画面を通じた私の現実」を、この作品群で思い出す。私が本当に見てきた現実。私が生きてきた時代のこと。もはや「記憶」を、写実的なものだけでは辿(たど)りきることのできない時代。=朝日新聞2023年5月20日掲載