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「六角精児の無理しない生き方」インタビュー 残りの人生、誰かの“プラス”になっていたい

六角精児さん=篠塚ようこ撮影

幼少期の嘘が役づくりの原点に!?

──エッセイの題材は身の回りにさまざまある中で、どのような話題を中心に選ばれたのですか?

 私生活やら仕事やら子ども時代のエピソードやら、編集の方からいろんな角度で質問を投げかけてもらいました。いろんなことを聞かれて改めて考えることで、自分という人間をより正確に伝える本に仕上がった感覚です。ありがたいよね。

──話題のひとつとして、俳優の仕事についても触れられています。「役柄やシナリオに対して、いかに自分の性格を投影させるか」という幼少期の“嘘”が芝居の原点とおっしゃっていますが、ご自身を与えられた状況に最適化させていくことで、六角さんは何を得て何を失いましたか?

 まず失ったのは……素直さだね(笑)。どうすれば自分を正当化して欲望を満たせるか、怒られずに済むかってことばかり考えていたからさ。一方で嘘がバレないように上塗りし続けることって、俳優の役づくりに似ているんだよ。芝居の世界はフィクションで、嘘を成立させるために「こんな人物設定の奴なら、こんな風にセリフを言うだろうな」って考えるでしょう? 小さい頃から「俺だったらこんな感じでヤバい状況を切り抜ける」って考えながら嘘ついて、自然に映ることを目指していたの。役として劇世界で生きる原点を“嘘”で培ったんだと思うな。

──辻褄が合わなくなる瞬間は訪れなかったんですか?

 大いにありましたよ! 子どもならではの浅はかさ、親には見破られっぱなしでした(笑)。例えば友だちの誕生日会に行かず、会費をチョロまかして小遣いにするにはどうしたらいいか考える。レシートはないけど祝ってきた風に装わなければ。じゃあ僕は一体、友だちのためにどんなプレゼントを贈ったのか。「あいつは○○○が好きだから、俺はこれを買った」と自分に信じ込ませてうちに帰るのよ。証拠として、どこかで拾ったレシートを添えてさ。でもそれ、プレゼントを買う店とは思えない八百屋のレシートで母親にバレてこっぴどく叱られるの。詰めが甘いんだよ(笑)。

 でも懲りることなく、「じゃあ次はどうしてやろうか」って挑戦する感じ。嘘をつくこと自体が役づくり的なことになっていて、ずっと芝居の練習をしているような感覚だったかもしれない。

──そんな風に成長されたから、満を持して厚木高校で演劇部に入られたのですか?

 芝居が好きで始めたわけじゃなくて、部活動が強制で、どこかに入部しなきゃいけなかったんだよ。すぐ辞めて帰宅部になるつもりで演劇部に入って。で、たまたまそこで出会ったのが、1年先輩で、今は劇団扉座の座長をしている横内謙介。彼とのご縁がずっと続いているってわけだな。思えば僕には社会人経験もないし、ずっと部活を続けているようなものかもしれない。

──ターニングポイントですね。一方で「自分を大した人間じゃないと思っているからこそ、いろんなチャレンジができる」と本の中でおっしゃっています。社会で生きるには時にハッタリをかまして自分を大きく見せることが必要な場面もあるのではと思いますが、六角さんはどう切り抜けていかれましたか?

 ハッタリをかますより、自然体でいた方が効力あるんじゃないの? 本にもあるんだけど……例えば自分が畏怖している人に向き合う時は、あえてその胸に飛び込んでみるんです。敬遠せず、ハッタリをかまさず、ちゃんと付き合ってみる。その人の考えていることや本心からの言葉が聞ける間柄になることの方が大事。そういうコミュニケーションの方がね、ハッタリよりも効果あるんですよ。

 それは若い頃に痛感したことかな。僕、大スターに対して何の感情も湧かないのね。でも「この人、一見とっつきにくいけどきっとおもしろい人なんだろうな」という方には、ハッタリをかまさず一緒にお酒を飲む機会をつくったり、お芝居の稽古で同じ時間を過ごしたりするようにするの。それで素直に「おもしろいですね」とか「どうやっているんですか?」って声をかけながら、一歩ずつその人の内側に踏み込んでいくことで関係性を深めていく。

──畏怖の対象だからこそ、距離を取ってしまいがちな気がしますけどね。

 懐に飛び込んだ方が怖くないですよ。外からずっと見ていると怖いものでも、近くで見れば本当の姿がわかるでしょう? 相手が何を考えているかわかれば、おのずと恐怖は消えるの。

──それはどなたに対して向けられた嗅覚なんですか?

 一昨年お亡くなりになった、「(演劇実験室)天井桟敷」の若松武史さんとか。最初にお話しした時に「この人すごくおもしろい考え方するな」と僕のアンテナが反応したんですよ。若松さんって普通のテンポより3倍くらい早く芝居するんです。それで「どんなスタイルで演技に取り組んできた方なんだろう?」って興味が湧いて、お近づきになりたいと思ったの。

 で、お酒を飲んで若松さんのご自宅に泊めてもらった時にふと目が覚めたら、飼っていらっしゃった猫が布団に乗って僕をじっと見ているわけですよ。それで「ここって若松さんのご自宅なんだな」って実感したの。素敵な役者さんで尊敬している方とお話ができて、こうしてうちに泊めてもらえるなんて幸せだなって。のぞき込んでいた猫の重さ、今でも思い出せるくらい。畏怖を興味や好奇心の対象に変えて、近くで見てみたかったんです。

誰かとともに「不自然体」で生きる理由

──ここから六角さんのプライベートに迫っていきたいと思います。本の中で「優しくなった=人を気遣えるようになった、という状態は“不自然体”である」とおっしゃっています。であれば一人で生きることが六角さんにとっての「自然体」なのだと思いますが、なぜ他の誰かとともに生きる「不自然体」を選ばれているのでしょうか?

最近優しくなったといわれるけど、それがかえって切ないときもある
(中略)
 ただ近ごろは、自然体のままじゃ生きづらいこともあるなって気づくこともあります。とくに家庭内でそれを実感することが多いんだけど、しょせん夫婦なんて「不自然体」なんだから、お互いが自然体のままでいたら喧嘩して終わりなんですよ。思えば一人暮らしだったときのほうが気ままだったかも。当たり前なんだけど。
 最近は友達からも「むかしは険のある嫌なやつだったけど、優しくなったよな」ってよく言われるんだけど、要は周囲に気を遣っているってことですよね。だからこそ「あぁ、僕は自然体じゃなくなってしまったんだな」って、少し切なくなってしまうんですよ(笑)。
『六角精児の無理しない生き方』(主婦の友社)1章「俳優 六角精児が育まれた青春の時代」より

 おっしゃる通り、自然体でいるんだったら一人の方がいいと僕も思います。でもこれだけ長く生きて、誰も幸せにしていない自分はね……その理由は「何なんだろうな」と考えるところはありました。「人を幸せにする」ってひと口に言っても、どうしたらいいかいまだに正直わかりませんけど……ご縁のあった女性を不幸にしてしまったから3度も離婚したわけでね。だから残りの人生で「人を幸せにする」ことを目指してみるべきなんじゃないかな、と思ったんですよ。

──だから2番目の奥さんと、もう一度ご結婚された?

 そうですね。「人を幸せにする」って気持ちがまったく無いと……ねぇ? たまにでもいいから、幸せな思いをしてもらっている方が……彼女にとっても僕にとっても、死ぬ時に振り返って素敵な気持ちになれるじゃない?

──人を幸せにしたい気持ちの頭に「自分にとって不自然であっても」という枕詞がついているのが素敵だな、と思います。

 他者と生きることだけじゃなくても、自分にとって不自然なことだらけですからね……この世界は。でも長い間、同じ時を過ごしたらいつの間にか「自然体」になっている気もします。そうごまかしながら生きている一方で、そういう自分に気づいた瞬間、僕は今でも「一人になってやろう」って感情的になることもあります(笑)。妻とケンカして「ちくしょう、明日になったら一人で部屋を借りてやる!」って風呂の中で思う。でも風呂から上がって犬の顔を見たら……その気持ちが消えているの(笑)。

──かわいすぎます(笑)。2番目に結婚・離婚して再婚された現在の奥様とよりを戻したのは「ご縁」とおっしゃっていましたよね。奥さま視点の理由はインタビューを拝読して理解したのですが、六角さんからも語っていただきたいと感じました。

 あのね、お酒の飲みっぷりがいいんですよ。自分より強いと楽しいわ、今となっては。僕はもう量が飲めなくて、すぐ眠くなっちゃうの。寝ようと思って布団に入っても、妻はまだグラスに入った氷をカランカラン鳴らしている。それでいて朝は僕より早い。歳が離れているから当たり前なのかもしれないけど、体も丈夫だし。朝からちゃんと飯を食って、元気に動くのよ。自分にそういう要素がないから、見ていて頼もしいんだよね。

 「たまたま観た芝居に僕が出ていたから」とこの本に収録されているインタビューで彼女は言っていたのかな? で、そういうご縁の中で「映画でも観に行こうか」となって、またお付き合いが始まりました。そもそも僕が彼女を嫌いになって別れたわけじゃなくて、僕があまりにもだらしなくて別れたので。また再び出会った時に、僕のだらしなさが少し消えていた。それってわりと大きいのかもしれないのかな、と思いました。

自分も誰かのプラスになりたい

──その「だらしなさが消えている」というところで、六角さんはギャンブルにハマってしまっても、「そういう状況を招いたのは自分なんだから返済の責任を果たさないと駄目ですよ」と同じようなギャンブル狂を自戒の意味を込めておっしゃっていますよね。六角さんが決定的な堕落に至らないのって、ご自分でどういうことだと感じていらっしゃいますか?

 見なかったことにせず、借金という現実をわりとちゃんと見つめていた、に尽きるかな。なかったことにすると、やり過ごしたことが負の遺産として蓄積していって取り返しのつかないことになるんですよ。現在の日本みたいなもんだね。それに借金の場合は周りからどんどん「返して」と言われるから、なかったことにはできない。そうするには自己破産をするしかないけど、その道は選びたくなかった。本当にいろんな方面からお金を借りたけど、結局、地道に返していくしかなかったんだよね。

 何よりちゃんと向き合うことができたのは、僕の周りに手を差し伸べてくれる人がいたからじゃないかな。自分一人で見てみぬふりをしなかったわけじゃなくて、周りにまっとうな人間がいてくれたからなんだよ。横内が僕に台本を書いたり、事務所が仕事を取ってきてくれたりすることによって、自分も「働かなきゃ」「経済を回さなきゃ」って現実を見すえて動ける状況にしてくれたの。

──その状況は六角さんにとって他者と一緒に生きる意味になり得るくらい大きかった?

 そうですね。それくらい、僕のまわりには自分にとってプラスになる人が多かった。でもその恩恵を受けっぱなしにしているわけにはいかないんだよ。僕だって押しつけがましくない程度に、誰かのプラスになっていたい。

──あ、それって奥様を「もう一度、幸せにしたい」というお気持ちと通じてます?

 つながると思う。

──ちなみに六角さんにいちばん発破をかけたのはどなたですか?

 (即答して)横内だね。彼がいなかったら再起不能だったんじゃないかな。お金も貸してくれましたけど、それがプラスになったわけじゃないんです。いちばん大切なのは、自分で全額返済すること。「当たり前だろ」ってみんな言うけど、借金は返す時がいちばん大変なんだよ。ここへたどりつくまでに何年もかかりました。つきあってくれた横内には本当に感謝ですね。

──定年後は「自分がやりたいと思える芝居に取り組みたい」と劇団での活動を挙げていらっしゃいます。扉座は六角さんのどんな趣味嗜好を実現してくれる場所だと考えていらっしゃいますか?

 自分のことをよくも悪くも知っている横内が今でも座長をやっているのが魅力だよね。僕のことをいい塩梅に捉えて台本を書いてくれる劇作家だと信じていますから。そういう作品を残りの人生でどれだけ数多くできるか、と考えたら……劇団でした。

──横内さんとの創作はどんなところが楽しいですか?

 横内って作家でもあり演出家でもあるから、僕のこんな面を「こう見せたい」みたいな思いがあるんだろうね。「こういう時にこう見せると六角はいい、と思われがちだけど……そうじゃない部分もあるんだぞ」みたいな手もどんどん繰り出してくる(笑)。で、そういうセッションを向こうも楽しいと思ってくれているみたいなんだよね。一度「お前と芝居をつくるのは楽しい」って言ったんだよ、彼。同じことを僕も感じていたから、この楽しさは簡単に手放せないな。

 「どうしてこんなに楽しいのかな」と考えたら……もしかしたら「こういう演出をしたい」って横内の意図を踏まえたセリフを、僕が言えているのかなって。あるいはそこを裏切るおもしろさを形にできているのかもしれない。彼の手の中で泳ぐ楽しさを、これからもずっと経験していきたいです。……うっとうしがられるかもしれないけど(笑)!