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小川糸さん「いとしきもの」インタビュー 頑丈で、優しい。森の山小屋暮らしがくれた自由と居場所

小川糸さん=写真:榎本麻美(文藝春秋写真部) 文春文庫『いとしきもの 森、山小屋、暮らしの道具』(小川糸著)より

森にひとり仕様の家を建てる

――最新エッセイ集『いとしきもの 森、山小屋、暮らしの道具』では、長野の山麓に土地を購入し、長年の願いだった「自然のそばに身を置く」生活を始めた小川さんの家造りの過程が描かれています。家造りのプロセスで大切にされたことは何でしたか。

 私が住むことを決めた原生林は、標高1600メートルで自然環境が非常に厳しい場所でした。雨は激しいし、風の吹き方も強い。本当に美しい森ですが、ただ気持ちがいいだけの場所ではありません。だからこそ、自分を守ってくれる安心できる山小屋、家で暮らせることを大前提にしました。

――「頑丈で、温かく、優しい。まるで結婚相手に求めるような条件が、私が山小屋に求めた要素だった」とエッセイでは表現されています。

 自分ひとりで住むことを想定していたので、そこは重要なポイントでしたね。そのイメージを建築家の丸山弾さんにお伝えして設計を依頼したのですが、「頑丈」には自分を守ってくれる場所としての頑丈さだけでなく、長く残る家を作りたいという願いも込めています。

 海外と比べると、日本の家の寿命は数十年とすごく短いんですね。わざわざ自然を壊して、切った木を材料にして建てるのであれば、簡単に建てて壊れるような家ではなく、もっと長く住める家にしたかったんです。ベルリンに住んでいた頃は、築100年を超えるアパートがほとんどで、古い建物を代々住み継いで大切にしている人々の姿を多く見てきました。

 良いものをきちんと作れば、私が住まなくなった後でも、誰かが住み継いで生かしてくれるはず。そう思えたので、できるだけ環境に配慮しながら、地産地消を心がけて地元のカラマツをふんだんに使った希望通りの家にすることができました。

写真:榎本麻美(文藝春秋写真部) 文春文庫『いとしきもの 森、山小屋、暮らしの道具』(小川糸著)より

――森暮らしのために、40代後半にして初めて自動車免許を取得したそうですね。

 私はもともと環境面から車を運転することに否定的で、都市に住んでいたこともあって車に頼らず生きてきたのですが、森で暮らすとなるとどうしても車がないと立ち行かなかったんですね。それならば考え方を変えて、大人になってからの30年近くを車なしでやってきたのだから、ここから先はちょっとお世話になろう、と考えを改めました。

 周囲からは年齢的に遅すぎると心配されましたが、結果的には「今」で正解だったと思っています。地球環境に配慮された車が昔よりも格段に増えていますし、危険を回避する車の安全技術も進歩している。もっと若い頃に取っていたら、きっと無茶な運転をしていたかもしれない。

 「自分のための山小屋に通う」という目的があったので、何とか頑張って教習所に通い続けられました。だから、40代後半のタイミングで運転ができるようになってよかったなと思っています。自分に運転は無理だとずっと思い込んでいましたし、身近な人からもそう言われていたのですが、やっぱりやってみなければわからないことってまだまだありますよね。自分で自分に制限をかけていたのだな、ということにも気づけました。

――実際に、完成した家に入ってみたときの感想はいかがでしたか。

 完成したばかりの何もない家に足を踏み入れたときは、正直狭く感じて心配になったんです。ところが、実際に家具や机などを運び込んでみると、逆に部屋が広く感じられるようになったのです。

 そのことを丸山さんに伝えたところ、家具や物がすべて入った状態を想定して空間を作ってくださったことがわかりました。「家は建築家の作品ではなく、住む人のもの。だから、住む人を主体に考えています」と。その言葉の意味を住んでみて実感できましたし、初日からもうずっとここに住んでいたような感覚になれましたね。

――リビング、仕事部屋、キッチンがある2階の大きな窓からは、美しい森の木々がよく見える設計なのですね。写真を見ているだけでも、澄んだ空気を深呼吸するような気持ちになれます。

 やっぱり森で暮らすようになってからは、自然から本当に多くのものを与えられているのだなと日々、頭ではなく肌で感じられるようになりました。自然は私たちに容赦なく厳しい一方で、壮大な山々の美しさのように、他とは比べようもない美しさもある。自分の存在がすごくちっぽけに感じられるし、それによって世界の見え方も変わっていく。そんな自分の変化を今は大切にしたいなと考えるようになりましたね。

――執筆スタイルに変化はありましたか。

 これまでは冬に集中的に小説を書いて、春に編集作業、夏にいったんその物語から離れて、秋に出版して物語と自分との臍の緒を断ち切る、というサイクルを繰り返していたのですが、山小屋の夏が短いので、せっかくだから夏をきちんと味わいたい思いもあり、今はまだリズムを模索中です。

――森暮らしの日常を描きながらも、そこに亡きご両親との思い出がふと蘇ったり、過去の出来事が違った角度から見えてきたりするエピソードも随所に挟み込まれています。これは自然に接する時間が多くなったからか、それとも内省の時間も増えたことによる影響なのでしょうか。

 おそらく両方だと思います。過去の事実は変わらなくても、それをどの角度から見るかで、まったく違う事実が立ち現れてくることはありますよね。私は数年前に両親を亡くしたのですが、植物を育てていると「園芸好きだった母もこんな感じで植物を育てていたのかな」とふと思うような瞬間が最近はよくあります。時間の経過も大きいですが、自然自体に自然治癒力のようなものが備わっていて、そこからエネルギーをもらって元気になっている部分はあるのかもしれません。

誰もが一人一軒を持てたら

――ヴァージニア・ウルフが『自分ひとりの部屋』で女性の自立を論じてから約百年が経ちますが、本作は「女性がひとりで家を持つ」ことのケーススタディとしても読めますね。

 自分で家を建ててみて強く感じているのは、女性こそ、一人一軒の家を持てたら、すごくいいんじゃないかなということです。別に豪邸である必要はありません。そこに逃げ込めば耐えられるような、自分と向き合える空間があると、人生は豊かになるように思います。

 衣食住の衣と食にはこだわっても、住に関してはそこまで意識が向かないという人が多いのではないでしょうか。もちろん、いろいろな制約があることは理解していますが、自分が本当に心地よいと思える場所に住むことで得られる恩恵はすごくたくさんあります。

 これまでは3世代で一軒、家族や夫婦で一軒という形が普通とされてきましたが、パートナーがいても一人がそれぞれ一軒を持っていたら、二拠点生活が可能になるし、災害の備えにもなりますよね。

 「自分には家がある」という事実は、人生のいろんな決断をする上でも強みになってくれることを私自身もこの数年で実感しています。だからこそ、女性が自分の人生を考えていく上で、家を持つことがもっと自然な選択肢のひとつになっていけばいいな、と思いますね。

――小川さんのそうした“住まい観”は、どこで養われたのでしょうか。

 ベルリンで暮らした経験が大きいですね。ベルリンでは20代の若い子でも、身の丈にあった古いアパートを買って、DIYで直しながら住み、生活が変われば手放したり賃貸に出したりするなどしていましたから。そんな光景を見ていく中で、家を所有するのっていいな、と思うようになりました。

 「衣」や「食」と比べると「住」は格段に大きなお金が動くので、「絶対に失敗したくない」と考えてしまいがちですよね。コップや服を買うのとは、金額のレベルが違う。もちろん、私にとっても大きな決断でしたが、失敗を恐れるあまり自分自身にプレッシャーをかけないようにとも意識していました。

 ひとつの考え方として、「服」の延長くらいにものとして「家」を捉えてみるといいかもしれません。いわばちょっと大規模な服、と言えるかもしれません。自分の身を雨風から守ってくれて、着心地がいいもの。そんな着心地の延長にあるのが、住心地なのだと私は思っています。

写真:榎本麻美(文藝春秋写真部) 文春文庫『いとしきもの 森、山小屋、暮らしの道具』(小川糸著)より

――森での暮らしからは、人生を自分で選び取ることの清々しさが伝わってきます。一方で、すべてをひとりで決める自由は、責任を負うのもひとりということでもあります。森暮らしが4年目を迎えた今、「ひとり」の自由と責任をどのように感じていますか。

 自分ですべてを決められる状況というのは、本当に気持ちがいいんです。誰のせいにもできないけれど、結果が自分に返ってくるのだから、自分が引き受ければいいだけ。そして失敗したらまた軌道修正して、違う方法を選べばいいんです。

 その上で、ひとりだからと言ってすべてを自力でやる必要はないとも思っています。私の場合は、自分でできることは楽しみながら、できる範囲でやる。でも、体力的、物理的に難しいこと、例えば薪ストーブ用の薪を全て自分で切って用意するようなことはプロやできる人にお金を払ってお願いする、といった具合で自分なりのルールを決めています。だからこそ、4年目の今もこの環境でのひとり暮らしが続けていられるのだと思います。

――山小屋から標高が下がった里の土地にさらにもう一軒、 “野良小屋”を建てられたそうですね。

 里の小屋では、森暮らしではできない庭と畑を満喫しています。今現在は100種類以上の植物をお世話しているのですが、夏に向けてぐんぐん成長している真っ最中です。

 最近は、友人と共同でヤギを飼い始めました。最初は単純に草刈り目的だったのですが、生ゴミを食べてくれるし、糞を畑に撒けば肥料にもなる。循環する無駄のない暮らしができるようになって、とても気持ちがいいですね。犬や猫とはまた違う、可愛さや人間との距離感があって、わからないなりに関係を築いている最中です。

――家を建てたからそこで終わりではなく、そこを出発点にやりたいことがどんどん広がっているような印象を受けます。

 本当にそうですね。山小屋ができた、植物への興味がどんどん膨らんできた、じゃあ標高が低いところに庭や畑ができる小屋をつくろう……という流れで、ひとつ何かをやってみると、そこからまた違う方向や景色が見えてきます。山小屋は、私にとってのスタート地点、第一歩という感じですね。

笑顔で人生に「ごちそうさま」と言えたら

――あとがきでは、「これからの人生で、どうか、ご自分にとっての『いとしきもの』を見つけてください」と読者へのメッセージを語られています。

 それぞれの人が、その人らしい生き方をしてほしいな、という思いが私の中にはずっとあります。「どうせ自分なんか」「無理に決まっている」とすぐ諦めてしまわずに、少しでも希望が見えたら、小さな一歩から踏み出してみてほしい。そのときに、私の書いたエッセイや小説が、少しでも背中を押せるような存在でありたいと思っています。

 50代になった今、あらためて実感しているのですが、人生って本当に何が起きるかわからないし、いつ終わるのかもわからないですよね。でも命はずっと続くものではないし、終わりは必ず来る。

 それならば、最後にあれもこれもやりたかったと終わるよりは、失敗してもいいから悔いのない選択をしていきたい。終わりが来ることが意識するようになれば、今日できることを明日に先延ばししなくなる気がします。

 私の最終的な目標は、笑って死ぬことなんです。「お腹いっぱい食べました、もうごちそうさま」と満ち足りて終えることができたら、きっと最高の人生なんじゃないかな。