志村貴子「そういう家の子の話」「ハツコイノツギ」 ひやりとしたり、ほっとしたりする眼差しの確かさ
小学校5年か6年の頃、同級生にNくんという男の子がいた。目立つタイプじゃなかったけれど、気のいいやつで、わたしとはちょくちょくファミコンや漫画の話をしていた。
その、Nくんの家ではとある宗教を信仰していたらしい。本人の口からはっきりと聞いたことはなかった。ただ、ほかの男子が「Nんちは◯◯(その宗教の名前)やから」とからかうのを耳にしたことがあり、Nくん自身も「やめろやー」と言いつつ、否定も肯定もしなかったので、ああそうなんだ、と思った。本当に「ああそうなんだ」以上でも以下でもなかった。その宗教(というか宗派?)にいいイメージも悪いイメージも持っていなかった。
ある日、Nくんが学校を休んだ。その宗教で、祭りが開催されている日だった。テレビのCMで見たから知っていた。夕方の中途半端な時間帯にわりとよく流れていた気がする。具体的にどういった内容かまではわからなかったけれど、当時の漠然とした印象では「どんと祭りの派手なやつ」だった。
翌日、登校してきたNくんに、本当に何の気なしに「祭り、どうやった?」と尋ねた。
「うっさい‼︎」
温厚なNくんから、そんなふうに怒鳴られたのは初めてだった。わたしはびびって何も言えず、よくわからないけれど、Nくんに宗教の話をしてはいけない、とだけ胸に刻んだ。あの時のNくんの気持ちを正確に推し量ることは今でもできない。自分が幼く、浅はかだったことはよくわかる。
……そんな記憶が、「そういう家の子の話①」(志村貴子・小学館)を読むとよみがえってきた。安倍元首相の銃撃事件からにわかに取り沙汰されるようになった「宗教2世」をめぐるオムニバスは、胸がちりちりするような居心地悪さに満ちている。幼い頃は疑問にも思っていなかった「信仰というルール」が、学校や会社などの集団で、他者の視線によって「普通じゃない」ことに気づかされてしまう。家庭内の「当たり前」が、「普通の家の子」からは奇異に映ると知り、大人になった少年少女たち。独立をきっかけに信仰と距離を取ろうとする恵麻、恋人にプロポーズしたものの親の信心深さがハードルになる浩市、反抗する理由を見出せず模範的な信者として振る舞う沙知子。みんな、それぞれに「普通の子」だけれど、「普通の家の子」とは違う、「そういう家の子」たちだった。
普通の社会生活を送る彼らの日常がふとささくれ立ち、信仰の二文字が指先を刺す。志村貴子の漫画はドキュメンタリーのようで、わざとらしく用意されたドラマではなく、「ふと」起こる摩擦や行き違い、ささやかな救済を近すぎも遠すぎもしない距離から描き出す。その眼差しの確かさにわたしはたびたびひやりとしたりほっとしたり、する。
傷も秘密もない家庭は存在しない。誰にだって「そういう家の子」として抱える暗がりがある。この作品が差し出す痛みを知らなくても、心のどこかが疼く。
志村貴子の新刊をもう一冊。「ハツコイノツギ②」(講談社)は、ひと目惚れの相手とめでたく結婚した主人公・チカの、いわば「ハッピーエンドの後」を描いた物語。
最近の少女漫画って、かわいい子が増えたなあ、と思っていた。作画上のかわいさの話ではなく、「地味で目立たない」とか「元気さが取り柄」といった「設定上は決して美少女ではない」ヒロインを昔ほど見かけない気がする。「ちはやふる」(末次由紀)の千早なんてバッチバチに「美!」だし。読者の親近感より憧れをかき立てる方向なのか、それとも顔面の強度を云々すること自体がもう古いのか。
チカは、華やかなヒロインタイプではない。漫画のセオリー的には「主人公の友達」ポジによくいる、万人から嫌われない大人しめの顔立ちで、対する夫のシュンは目がくりくりした「顔面つよつよ」男子。志村貴子は人物の描き分けが達者なので、ふたりの絶妙なビジュアルがチカの不安やコンプレックスに説得力を持たせている。下町の狭く濃い人間関係の中に元カノがいたり、シュンが片思いしていた女性がいたり、チカがかつて振られた幼馴染みがいたり。シュンが誠実に自分と向き合ってくれていると頭ではわかっていても、チカの悩みは尽きない。傍から見れば、未熟な新婚夫婦の「犬も食わない」日々……と、傍からなので無責任に言える。
自分の尻尾を追う犬のようにぐるぐる悩むチカの根っこには、「どうせわたしなんて」という呪いがはびこっている。それは嫌いな相手からではなく、仲のいい友達や幼馴染みから、気安い「イジり」や「ちゃかし」というかたちでかけられてきた呪いだ。だからこそ根深い。茨を切り開く王子さまのように、シュンの愛がその呪いを解いてくれたら手っ取り早いのだけれど、志村作品にそんなおとぎ話じみたハッピーエンドは存在しない(たぶん)。だからこそ、等身大の女の子がどう呪いに立ち向かうのか(あるいは立ち向かわないのか)、じれじれと見守っていきたい。