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空間に話しかける 柴崎友香

 夜の道で、人がしゃべりながら歩いてくる。一人で、手ぶらである。すれ違うときに、あ、やっぱり携帯で誰かとしゃべってるんやんね、とわかる。また別の人がしゃべりながら歩いてくる。携帯はポケットか鞄(かばん)に入れたままイヤホンで話しているので、遠くからだと、一人で虚空に向かってしゃべっているように見える。見慣れたとはいえ、私はまだ、不思議な感じがしてしまう。

 最近は、コンビニやスーパーで、その状態で誰かと話しながら買い物をしている人をよく見かける。なにを買うか、電話の相手に尋ねているのが聞こえてくる。すぐ隣でその人の意識は電話の向こうと商品にあって、私と同じ空間にいても別次元にいる感じがするから、慣れないのだろうか。

 私は、携帯を手に持たないでしゃべりながら歩くことも店の中で商品を選ぶことも、できない。マナーがどうこうでは全然なくて、自分の身体が存在している空間と、電話の向こうの空間とが、うまくつながらないような感じがして落ち着かないのだ。携帯電話を耳に当てる動作があると、別の場所をつないでいる安心感が少しはあるのかもしれない。ないと、無防備な感じがしてしまうのかも。

 もう一つ、いつまでもできないことが、携帯電話やスピーカーの音声認識AIに話しかけることである。一人で機械に向かって呼びかけるのは、どうしても不安と照れが同時に発生して、声が出てこない。同世代でも使いこなしている人はいて、知人の家で音声認識スピーカーに話しかけて天気を聞いたり家電を動かしたりしているのを見ると感心するのだが、自分はずっとできない気がする。

 そんな私も、一つだけ音声認識を使うことがある。携帯電話が部屋の中でしょっちゅう行方不明になるので、「携帯電話どこ?」とタブレットに尋ねて音を鳴らしてもらう。それでも、そのAIの名前を呼ぶことは、まだできない。=朝日新聞2023年6月28日掲載