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アホで助かったこと 津村記久子

 コンビニで見つけたラインマーカーの色が気に入って、何色か買ったのだが、本にラインを引く習慣がないので使い道がなかった。ちょっと考えた結果、作業メモにそのマーカーで「☆」を書いてやることにした。具体的に言うと、二十字×十行文章を書くと、☆を書いて中に別のペンで「10」と書く。さらに十行書くと☆を増やして「20」と書く。三十行稼ぐとさらに☆を書いて「30」と中に書く。

 四十五歳と半年という年齢の人が何をしているんだ、という感じがするけれども、これが実はけっこうよかった。好きな色で「☆」書きたさに、文章を書き進めるようになったのだ。自分が四十五歳になっても☆が欲しい人間でよかったと思った。以前もTODOリストのチェックを絵文字にしたとか言っていたが(続けている)、自らの手書きの「☆」でも自分が喜ぶとは思っていなかった。☆がずらずら並んでいるとうれしいのだろうと思う。

 仕事は続けたいけれども、一方でやめたいことがあったので、やめている日数と時間数を毎日記録して、「五十日記念」や「千時間記念」で自分にアイスクリームを三回買うボーナスを与えてやるほか、「やってない日に貼るシール台紙」を作って貼り始めた。途切れたら台紙は破棄しないといけない。そんなものでも二か月以上続いている。シールを貼り続けたいのだ。コンコルド効果の貧しい版みたいなものだと思う。わたしは、手帳に丸いだけのシールを貼った紙でさえ捨てがたく思ってしまうアホなのだった。

 一年前から繰り返し読んでいる『思考のトラップ』(デイヴィッド・マクレイニー著、安原和見訳)という本に「悪習は、人があんまり賢くないから身につき、同じ理由で消えるのだ」という言葉がある。わたしは自分のアホさを信頼して、☆を書いたりシールを貼ったりして、自分の習慣を今のところなんとか操っている。快適なので、ずっと自分がだまされてくれることを祈る。=朝日新聞2023年7月12日掲載