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ドラマ「季節のない街」主演・池松壮亮さん×監督・宮藤官九郎さん 「普通じゃない」を放っておかない優しさ

宮藤官九郎さん(左)と池松壮亮さん=篠塚ようこ撮影

黒澤明が取り入れなかった2編

――宮藤さんが原作の『季節のない街』と出会ったのは20歳の時だそうですね。どんなきっかけだったのですか?

宮藤官九郎(以下、宮藤):当時、黒澤明監督の作品をまとめて見る機会があって「どですかでん」だけ他の作品と違うなと思ったんです。質感も含めて自分にしっくりくるものがあって、「面白い」と言っていたら「原作小説があるから読んでみたら」と言われたのがきっかけでした。

――今回のドラマでは、黒澤監督が「どですかでん」(1970年)のタイトルで映画化した際に割愛された「半助と猫」と「親おもい」を取り入れています。この2編を選んだ理由とは?

宮藤: この作品を連続ドラマとして描くために誰か目線で街の人々を描くことはできないかと考えました。原作の中の「親おもい」のタツヤと「半助と猫」の半助、酒屋のオカベがいいんじゃないかと思ったんです。その登場人物たち3人を、それぞれのエピソードを使って、物語の導入が変われば、否応なく黒澤監督の「どですかでん」から離れられると思いました。

 もっとシンプルに言うと、僕がその2編を好きなんです。特に「半助と猫」は、半助は半助で猫に隠しごとをしていて、猫も半助に隠しごとをしている。それに、猫は半助が見ていないところでものすごくふてぶてしいんです。すごくいいエピソードなのに「なぜ『どですかでん』ではやらなかったんだろう、自分だったらこう描けるかな?」と思ったのが出発点でした。

宮藤さんヘアメイク:北川 恵(Kurarasystem)、スタイリスト:チヨ(コラソン)/

――池松さんは宮藤さんが書かれた脚本をご覧になっていかがでしたか?

池松壮亮(以下、池松): すばらしく面白かったですね。「どですかでん」と宮藤さん、それに山本周五郎という掛け合わせが見事にマッチングしていて、正真正銘、宮藤官九郎バージョンの「季節のない街」になっていました。この時代に見合ったヒューマニズムみたいなものを、このドラマからとらえることができるという確かな感触を受けました。

――今作の主人公である半助を池松さんにオファーされた理由を教えてください。

宮藤:半助は唯一の「街」の部外者で、「街」の傍観者でもあり、観察者でもある。 最初は冷めた視点で街を眺め「この人たちは何なんだろう?」と興味を持って見ているうちに自分もその中に入っていって、最終的に「俺も何かやんなきゃ」って小さく爆発するという物語の流れが見えた時に、半助を池松くんに演じてもらいたいと思いました。

――原作の街に住む人々は、どこか「人は人」といったところがあるように感じたのですが、
このドラマの街の人たちは、助け合い精神があるように感じました。池松さんは約2カ月半、この街で生きてみて、どんなことを感じましたか。

池松: 今この作品に触ることは、きっと宮藤さん以外ではなかなか難しいと感じていました。言っちゃいけないことや、やってはいけないようなことも作中では結構やっていますが、そういった倫理観よりも、コンプライアンスや多様性のようなものを逆手にとって、そういった倫理観よりもヒューマニズムということを実現されていたので、そこに強く惹かれました。何よりも宮藤さんがその対象について本当に面白がっているし、それを作中の半助も面白がることで、この作品を見ている側も同じ気持ちになれてしまうところがすごくいいなと思います。この街のことを半助同様、視聴者の方に好きになっていってもらうことが今回僕の役目だったと思います。

池松さんヘアメイク:FUJIU JIMI

――先日、宮藤さんが作・演出を手掛けた舞台ウーマンリブ vol.15「もうがまんできない」を観劇しました。あの作品でも、市井に生きる人々の日常を面白おかしく描かれていましたが、それは今作にも通じるところがあるなと感じました。

宮藤:あの舞台で描いた「娘にデリヘル嬢をやらせる父親ってどうなの?」という視点って、すごく真っ当なのに、言っちゃいけないムードがあるなと思ったんです。それが「良い」「悪い」ということ以前に、人が人に興味を持つことすら許されない、そんな世の中になっているような気がするんです。

 今回のドラマの中で「なんか面白いから人に言いたくなる」っていうセリフがあるんですけど、別にそれは悪いことじゃないと思うんです。例えば、他人には見えない電車を毎日運行する六ちゃんは、ただ電車が好きで「自分は電車の運転士だ」と思っているんですが、六ちゃんから見えていない街の人たちは「自分には関係ない」ことにしようとする。けど、そこに半助がやってきて「六ちゃんがこんなに面白いのに、なんで誰も何も言わないの」と疑問に思う。後で聞くと、みんな知っていながらも放っておいたことが分かるんですが、そういう優しさがあってもいいんじゃないかということを1話の中で見えてくればいいなと思っていました。

半助は宮藤さん自身だと思った

――半助はどこか謎めいている部分がありましたが、今作では語り部的な役割も担っていますね。役作りは難しかったのでは?

池松:その時々のチューニングが必要な役だったと思います。半助がどうリアクションしているかによって、この街の人たちの見え方が変わってくると思います。僕は半助って、つまるところ宮藤さん自身の視点だなと思ったんです。半助がどういう風に街の人たちを面白がっていけるか、痛みを抱えている人たちに出会って、どれくらい呼吸しやすくなっていくのか。そういう過程こそがドラマになると思っていました。ガイド役として特に何かしようとしなくても、あの街には面白い人たちがいたので、バランスや、そのシーンをどう面白くしていくかだけを気にしながら、だんだんと街に馴染んでいく半助の姿を見せていけたらと考えていました。

宮藤:主人公って、意外と真人間になっちゃいがちですよね。物差しだけになっちゃうと、リアクションするだけの役割になると面白くない。それは嫌だなと思ったんです。だから(仲野)太賀くんと(渡辺)大知くんが半助を面白がることで、双方向というか、半助も変な人なんだっていうところをちゃんと見せたいなと思っていました。

――仮設住宅が舞台ということもあり、作中には震災を思わせる描写もありますが、宮藤さんは「震災」を作品で扱うことについて、改めてどんな思いがありますか。

宮藤:被災者の方たちにとっては、節目なんかはないんじゃないかと思うんです。実際に石巻の被災地に行った時も、地元の方たちは「我々は忘れられないし忘れるわけはない。みんなにも忘れないでほしい」とおっしゃっていましたが、震災から10年とか15年の節目の時だけ報道したり、イベントを大々的にやったりするのは悪いことじゃないと思うんですけど、その日ばっかり取り上げるのもなんかしっくりこない。その距離感は気に留めるようにしています。

――池松さんがこういった作品に出演する際に、役者として心がけていることはありますか?

池松:当事者ではないので、言葉にするのは難しいのですが、数多ある人の情念みたいなものと向き合うことは俳優として常々あります。この国の俳優として、人として、こういうふうに向き合う機会をもらえることは特別だと思っています。自分は物語でしか向き合えないし、この仕事だからこそ向き合えることもあります。その距離感やバランスなどが難しいこともありますが、自分が生きてきた中で3・11はものすごく大きなことだったし、さらにその10年前には9・11があって、今はコロナがあって。そしてもうすぐ戦後80年を迎えようとしている。そういう自分たちがたどってきたことに目を背けて俳優という仕事はできないと思っているのは確かです。

読書は映画を見ることと同じ

――池松さんは普段から割と読書されるそうですが、最近はどんな本を?

池松:最近だと、『熱源』で直木賞を受賞した川越宗一さんの『天地に燦たり』を読みました。日本と朝鮮、琉球の東アジア3か国を舞台にした歴史小説で、侵略する者、される者それぞれの矜持を描いたお話です。

 今ふと思い出したのですが、実は今回のお話をもらった時に『ちいさこべ』という別の山本周五郎原作の実写化の話を進めていたんです。大火事になって行き場を失った子供たちを若棟梁が引き受けて育てていくという話で、結局そちらは実現しなかったんですけど、漫画もあってそっちでは現代版になっていて、そちらも面白いんです。

――お二人が最近読んで印象に残った一冊を教えてください。

宮藤:最近は仕事柄、実写化しなきゃいけない作品ばかり読んでいるので、あまり小説を読まなくなってしまったのですが、昔は筒井康隆さんのSFが好きだったんです。「文章表現ってこんなに自由なんだ」って思いました。

 僕が今読んでいるのは、太田光さんの『笑って人類!』です。ずっとくだらないことが続いていて「なんでこんな長いの」って思うんですけど、面白いですね。芸人さんが書いたとは思えない。「やっぱりエンタメの人なんだな」と思いながら、最後はどう一つにまとまっていくのかなと(笑)。

池松:僕は平野啓一郎さんも好きで、ほとんどの作品を読んでいるんですけど、新作の『本心』はびっくりするぐらい面白かったです。2040年の世界を舞台に、亡くなった母親をVF(バーチャル・フィギュア)で作ってしまう青年の話なんです。僕にとって読書は映画を見ることと同じで、その都度、いろいろなことを得ています。