勝手なことをいうけれど、山形の文学は夏に読むのにふさわしい。背中にふっと冷気が走るからだ。
県のほぼ中央に位置する出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)は山岳信仰の地。鶴岡からバスと徒歩で「わたし」は湯殿山注連寺(鶴岡市)にやってきた。森敦の芥川賞受賞作『月山』(1974年/文春文庫『月山・鳥海山』所収)はこの男が寺でひと冬をすごす物語である。
〈ミイラでもあるこったば、拝みに来る者もねえんでもねえでろどもの〉と口にする寺のじさま。〈おらももう、この世の者でねえさけの〉と語る村のばさま。トボけた会話から立ちのぼる冥界感がたまらない。
というように、山形の文学はなべてちょっとミステリアス。「ただならぬ雰囲気」が漂っている。
世界を魅了した、安部公房『砂の女』(1962年/新潮文庫)の舞台もじつは山形県、庄内砂丘(酒田市など)がモデルといわれる。
新種の昆虫(ハンミョウ)を探して砂丘に迷い込んだ男がアリジゴクの巣のような穴に落ちる。砂の中の家には女がひとりで住んでいて、何度脱出を試みても成功しない。だが彼はしだいにこの場所になじんでいくのだ。一見幻想的な作品だが、この家が何を象徴するか考えだすと、ゾクゾクして夜も眠れない。
不穏な空気は21世紀にも引き継がれた。阿部和重『シンセミア』(2003年/講談社文庫)は作者の故郷・東根市神町(じんまち)を舞台にした三部作の核をなす大作である。
「果樹王国」として知られる土地に住む若者たちは〈純朴な東北人を演じて上質の農作物やら風光明媚(めいび)な自然環境やらを提供し、観光客らを適当に悦(よろこ)ばせ続けることなんぞ〉に飽き飽きしていた。サクランボの収穫も終わった2000年7月、町で不可解な事件が立て続けに起きる。産廃最終処分場設置反対運動の先頭に立つ高校教諭の鉄道自殺、自動車整備工の交通事故死、そしてさる老人の失踪……。物語は神町でパン屋を営む田宮家を軸に進行し、8月の大洪水を機に思わぬ方向に向かう。戦時中には海軍の航空施設が置かれ敗戦後は占領軍が駐留したという神町の歴史を踏まえた壮大なフィクションにノックアウトされたし。
エンタメ系も負けてはいない。
柚月裕子『盤上の向日葵(ひまわり)』(2017年/中公文庫)は、将棋のタイトル戦が行われる天童市(将棋の駒の日本一の生産地である)のホテルからはじまる。天才棋士・上条桂介を追ってここに来た、新米刑事とたたき上げ刑事のコンビ。
名工の手になる芸術的な駒が事件の鍵を握っており、物語は桂介の生い立ちと名駒の行方を求めて全国各地を駆けめぐった後、最後はまた山形に戻ってくる。NHKでドラマ化された将棋ミステリーの原作。松本清張『砂の器』の将棋版といった趣で、将棋に関する知見も満載。羽生善治の文庫解説も見逃せない。
同じ向日葵でも、彩坂美月『向日葵を手折る』(2020年/実業之日本社文庫)の主人公は小学6年生の少女である。父を亡くしたみのりは母と2人、祖母がひとりで住む山野辺町(モデルは山辺町?)の架空の集落・桜沢に越してきた。そこは山あいの村で、学校も分校だ。
ところがその夏、事件が起きる。夏祭りの灯籠(とうろう)に使う向日葵が折られたのだ。〈きっと、向日葵男の仕業だわ〉。「学校の怪談」めいた序盤から物語は二転三転、想像以上に陰惨な展開に! 戦慄(せんりつ)を誘う掘り出し物の青春ミステリーである。
さて、山形県の作品といえば藤沢周平は外せまい。作品に登場する海坂(うなさか)藩のモデルが作者の故郷・現鶴岡市を中心にした庄内藩であるのは有名な話。山形新聞の連載から生まれた『蟬(せみ)しぐれ』(1988年/文春文庫)は15歳の少年・牧文四郎の成長の過程を藩の権力争いをからめて追った藤沢の代表作だ。反逆の疑いで切腹させられた父。後に藩主の愛妾(あいしょう)となる幼なじみとの淡い恋。勉学と剣の修業に励む文四郎の姿は青春小説そのもので、中高生向きとすらいえる。半面、宮仕えの過酷さもたっぷり描かれるんだけど。
現地ではゆかりの地を訪ねる観光も盛ん。山形はサクランボと「おしん」だけではないってことだ。=朝日新聞2023年8月5日掲載