新潟編 トンネルの先にある暮らし 文芸評論家・斎藤美奈子

〈国境の長いトンネルを抜けると雪国であった〉。誰もが知る川端康成『雪国』(1948年/岩波文庫など)の書きだしである。
舞台は湯沢温泉(湯沢町)で、冒頭の章が雑誌に発表されたのは1935年。上越線の清水トンネルが開通した4年後だった。トンネルは当時最先端の交通インフラであると同時に「異世界への入り口」で、であればこそ東京の男(島村)と当地の芸者(駒子)との刹那(せつな)的な関係は(男性から見れば)まさに夢か幻のような世界だったにちがいない。
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トンネルなんかなかった頃、三国峠の先はもっと異世界だった。
江戸後期、雪国の暮らしぶりと奇譚(きたん)を詳細に報告して江戸の人々をあっといわせたのが鈴木牧之(ぼくし)『北越雪譜(せっぷ)』(1837年)である。
木内昇(のぼり)『雪夢往来(せつむおうらい)』(2024年/新潮社)は、雪深い塩沢村(現南魚沼市)で商家を営む鈴木牧之(儀三治〈ぎそうじ〉)が『北越雪譜』の出版にこぎ着けるまでの長い歳月を江戸の出版事情をからめて描いている。〈越後は雪深いってぇ話だが、どのくれぇ積もるのだえ〉ときかれ、1丈(約3メートル)と答えて笑われたのが19歳の時。以来こつこつ原稿を書きためて、本が出たのは70歳に近づいた頃だった。夢を諦めなかった人の努力と執念の記録である。
斎藤惇夫(あつお)『哲夫の春休み』(2010年/岩波少年文庫)は少年の冒険譚(たん)。1988年、中学入学前の春休み、哲夫は父の郷里長岡市に旅に出た。新幹線ではなく上越線で行けと父はいう。哲夫にとってのトンネルは過去への入り口で、実際彼は長岡で子どもの頃の父と出会うのだ。〈あの子はあの子。おめさんはおめさん〉という曽祖母の言葉がしみる雪どけの季節の物語だ。
越後名物は雪だけではない。本土だけで南北約330キロの海岸線をもつ新潟県は、日本海の荒波と、冬の季節風を体感できる土地だ。
日本のアンデルセンの異名をもつ小川未明は日本海に近い高田(現上越市)で生まれた。『赤いろうそくと人魚』(1921年/新潮文庫『小川未明童話集』など)では人間を信じてろうそく屋の老夫婦に娘を託した人魚が、裏切られたと知って暴風雨を起こす。こうなると〈人魚は、南の方の海にばかり棲(す)んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたのであります〉という書き出しも不吉である。
自然環境が厳しい半面、米どころ、酒どころでもある新潟県。
宮尾登美子『藏(くら)』(1993年/角川文庫など)の舞台は亀田町(現新潟市)の造り酒屋だ。
幼い子どもを次々に亡くした田乃内家。やっと育った娘の烈(れつ)は小学校入学前に夜盲症(網膜色素変性)と診断され、いずれ失明すると告げられた。その後も不幸が重なり、失意の中で蔵は閉じると宣言した父に、視力を失った14歳の烈はいい放つ。〈あの蔵を全部、烈に下(くん)なせ。烈がお酒造りをしてみせるわね〉
時は大正~昭和初期。〈酒蔵へ女は入(はえ)れね〉という因習も視力のハンディも乗りこえて、自らの道を切り開いていく烈の姿は鮮烈だ。
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新潟と海を隔てた佐渡は何度となく小説の舞台になってきた。
中でもヤバいのは阿部和重『ニッポニアニッポン』(2001年/講談社文庫『IP/NN』)である。鴇谷(とうや)春生は17歳。名字に鴇(とき)の字があることからトキに親近感を抱いていた彼は、引きこもりの自分とトキの境遇を重ね、インターネットで情報を集め、スタンガンや催涙スプレーで武装して佐渡トキ保護センターに向かうのだ。逃がすか殺すか。さあトキ解放テロの結末は!
右がネット時代の現代的な物語なら、藤沢周『世阿弥(ぜあみ)最後の花』(2021年/河出文庫)は佐渡が流人の島だった中世が舞台である。
永享6(1434)年、72歳の世阿弥は佐渡に島流しとなった。都への望郷の念を片方では抱きつつ、世阿弥は現地の少年たつ丸に文字を教え、謡や舞や小鼓を伝授することに喜びを見いだすが、2年前に客死した息子の幻影から逃れられない。
トンネルの先にも海を隔てた島にもあるのは人の暮らしである。〈世阿爺(じい)、大丈夫らかあ〉と叫ぶたつ丸にはこう答えたい。大丈夫らて!=朝日新聞2025年7月5日掲載