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島根編 時を経ても残る、懐かしい町 文芸評論家・斎藤美奈子

松江城の北側には小泉八雲旧居や武家屋敷が残されている=2015年、松江市

 城下町松江、神々の里出雲、山陰の小京都・津和野。島根県にはタイムトリップ気分を味わえる、懐かしいたたずまいの町が多い。

 39歳で来日、後に日本国籍を取得して小泉八雲となったラフカディオ・ハーンが英語教師として松江に赴任したのは1890(明治23)年だった。その印象記が『知られぬ日本の面影』(原著1894年)である。『新編 日本の面影』(池田雅之訳、2000年/角川ソフィア文庫)はこの本の主要部分を集めたアンソロジーで、随所から彼の島根愛が伝わってくる。〈この土地の魅力は、実に魔法のようだ〉と書いたハーンが松江に住んだのは1年3カ月に満たない。だがそこで、彼は古きよき日本の姿を発見したのだった。

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 島根県と聞いて、松本清張砂の器』(1961年/新潮文庫)を思い出す人もいるだろう。

 東京・蒲田で起きた身元不明の殺人事件。被害者が話していた方言と会話に出てきた「カメダ」という固有名詞から、刑事の今西はひとまず秋田県の亀田に向かうが、やがて島根県奥出雲地方は東北と似た音韻の方言を使うことを知る。はたして被害者の三木謙一は、かつて亀嵩(かめだけ)という集落(奥出雲町)の駐在所に勤務していた元巡査だった。

 この一作で一躍有名になった木次(きすき)線沿線の小さな町。旅情を誘う、清張の代表作のひとつである。

 21世紀の作品にも、古きよき島根県らしさは刻まれている。

 天沢夏月青の刀匠(とうしょう)』(2022年/ポプラ社)は少年の成長譚(たん)。火事で心身に傷を負い、美保関(みほのせき)に近い町に越してきた高校2年のコテツ。後見人のかがりは女性の刀鍛冶(かじ)だった。〈かがりさんは何のために、刀を作ってるんですか?〉〈あんたどげ思う?〉〈美術品、ですよね?〉〈そげだね。そうやって割り切って作んのが、賢いやり方なんだらぁね〉。鍛冶場を手伝うコテツは火の恐怖を克服できるのか。たたら製鉄の伝統につながる青春小説だ。

 一方、窪美澄やめるときも、すこやかなるときも』(2017年/集英社文庫)は松江が重要な意味をもつ恋愛小説だ。毎年12月になると声が出なくなる家具職人の須藤。原因は高校時代をすごした松江での出来事だった。過去を断ち切るため、彼は恋人と十数年ぶりに松江を訪れるが……。演出上絶大な効果を上げるのが宍道湖の夕日である。ドラマ化もされた人気作である。

 高田崇史の古代史ミステリー『鬼棲(す)む国、出雲 古事記異聞(いぶん)』(2018年/講談社文庫)は、東京の大学院で民俗学を学ぶ橘樹雅(たちばなみやび)を主人公にしたシリーズの1作目。大国主命(オオクニヌシノミコト)を祀(まつ)る出雲大社(出雲市)は本当は素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀っていたのではないか。そんな数々の謎を解き明かすべく出雲に飛び、神社を訪ねまくる雅。開陳される知識はオタッキーだが、〈出雲は、どこまでダンジョンなのだ?〉という迷走感を味わうにはぴったり!?

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 戦国期に目を転じよう。松江城と並ぶ島根県きっての名城といえば、この地の大名尼子氏と、中国地方の覇王毛利氏との激しい戦で知られる月山富田(がっさんとだ)城(安来〈やすぎ〉市)だ。

 稲田幸久のデビュー作『駆ける』(2021年/角川春樹事務所・時代小説文庫)は尼子氏が敗れた布部山(ふべやま)の戦い(1570年)を前に、毛利方に拾われて騎馬隊のリーダーに抜擢(ばってき)された14歳の少年小六(ころく)と、毛利に城を明け渡し、尼子の再興に命をかける山中幸盛(鹿之助)が胸に秘めた熱い思いを描く。

 そんな尼子と毛利の争いの一因になったのが石見銀山(大田市)だ。千早茜の直木賞受賞作『しろがねの葉』(2022年/新潮社)は、全盛期の石見銀山が舞台である。

 戦国末期、山師(鉱山技師)の喜兵衛に拾われ、彼の手子(てご)(助手)となったウメ。〈おまえは間歩(まぶ)で生まれた鬼娘じゃ〉といわれ、鉱山の花形、銀掘(かねほり)をめざすも、年頃になったウメは間歩(坑道)から締め出される。はたして彼女の運命は!

 世界遺産になった石見銀山も松江も出雲も、今は歴史を感じさせる観光地。時が移ろい人が変わっても町は残った。その集積が懐かしいたたずまいなのかもしれない。=朝日新聞2025年6月7日掲載