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岩手編 「物語の種」息づくイーハトーブ 文芸評論家・斎藤美奈子

2023年に運行を終えたJR釜石線の「SL銀河」は『銀河鉄道の夜』をモチーフにしていた=14年12月、岩手県遠野市

 石川啄木と宮沢賢治を輩出し、柳田國男が書きとめた『遠野物語』の故郷でもある岩手県。賢治がイーハトーブと呼んだ地は、今なお物語が息づく文学の国である。

 門井慶喜『銀河鉄道の父』(2017年/講談社文庫)は賢治の父、宮沢政次郎が主人公である。

 家業の質屋を嫌って盛岡中学から高等農林に進むも、将来が見えず、甘い夢ばかり語る息子に父はハラハラしっぱなし。だが妹のトシは兄の資質を見抜いていた。〈おら、前から思ってた。お兄ちゃんだば向いているべ、文章を書く仕事〉

 病のたびに付きっきりで看病する父と、〈載った。載ったのすお父さん〉〈原稿料が出るのす〉と勇んで報告する息子。この家族ゆえに賢治は賢治になったのだと思わせる。

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 『銀河鉄道の父』は2018年の直木賞受賞作だ。この時芥川賞を受賞したのが賢治の詩「永訣(えいけつ)の朝」の1フレーズを表題にした若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(2017年/河出文庫)である。

 最愛の夫を失った74歳の桃子さんの脳内にある日、郷里の言葉があふれだす。〈あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが/どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如(なんじょ)にすべがぁ〉。24歳で故郷を飛び出すも、主婦として生きてきた桃子さん。彼女がふともらす〈おらは独りで生きでみたがったのす。思い通りに我れの力で〉という一言にやられる。そりゃあベストセラーにもなるわ。

 岩手県の空気には文学の種子が混じっている気がしてならない。

 『遠野物語』に登場する「座敷わらし」に魂を吹き込んだのは、三浦哲郎の児童文学『ユタとふしぎな仲間たち』(1971年/新潮文庫)だった。父を亡くし、母の実家がある村に越してきた6年生のユタこと勇太。念願かなって出会えた座敷わらしは極端に背が低い男の子で8人の仲間がいた。友達がいないユタは愉快な日々をすごすが、やがて9人の座敷わらしはみな江戸や明治の凶作や飢饉(ききん)の年に生まれていたことを知る。〈おめえ、間引きって言葉、知ってるか?〉。この一言で民話はにわかに現代性を帯びる。

 沼田真佑『影裏(えいり)』(2017年/文春文庫)は東日本大震災前後を描いた芥川賞受賞作。岩手の会社に出向してきた今野と同僚として知り合った日浅は釣りを楽しみ、酒をくみかわす仲だった。だが震災後、日浅は消息を絶った。津波にのまれる友を、今野は想像せずにいられない。『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカムパネルラを思わせる2人。日浅に対する今野の思慕が切ない。

 木村紅美(くみ)『あなたに安全な人』(2021年/河出書房新社)は「新型肺炎」流行初期の物語だ。後に同居する妙(46歳女性)と忍(33歳男性)はそれぞれに首都圏から故郷に戻り、息をひそめて暮らしていた。妙は衛生に過剰に気をつかう自主隔離のような形で。忍は実家の蔵に文字通り隔離されて。移入者を警戒する地方都市の緊張感。コロナ文学の傑作といっていいだろう。

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 岩手県の歴史をさかのぼると、古代の陸奥国に行き着く。

 8世紀後半、陸奥に黄金が産出すると知った朝廷が兵を送り込んできた。蝦夷(えみし)と呼ばれたこの地の人々はやむなく立ち上がる。高橋克彦『火怨(かえん)』(1999年/講談社文庫)は胆沢(いさわ)(現奥州市)の若きリーダー・アテルイ(阿弖流為)と盟友モレ(母礼)を先頭にした蝦夷一族の戦いぶりを描く歴史小説だ。

 一方、井上ひさし『吉里吉里人(きりきりじん)』(1981年/新潮文庫)は宮城と岩手の県境の架空の村が独立を宣言する物語である。〈おらだは吉里吉里人(ちりちりづん)なのす〉〈ここはハァ吉里吉里国なんだものねっす〉。東北本線を走る急行に乗車していた作家の古橋らは騒動に巻き込まれるが。

 2作は同じ事態を描いている。中央集権国家に反逆する、まつろわぬ民であること。そして最後は敗れることだ。22年の戦いの末、アテルイは坂上田村麻呂に投降し、吉里吉里国は独立2日で崩壊する。

 たとえ負けても未来を夢みた記憶は残る。「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」が、ほかならぬ岩手県そのものを詠んだ詩に思えてくる。=朝日新聞2025年5月3日掲載