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駅の顔 澤田瞳子

 「カバンの隅には」をご愛読の方はまたかとお思いだろうが、私は今、人生四度目のカンヅメになっている。念のため説明すれば、カンヅメとは執筆の効率化のため、作家や漫画家をホテルなどに押し込めること。今回は東京駅近くでかれこれ十日近く、パソコンと資料だけに向き合っている。

 わたしが宿に籠(こも)った翌日、世間は盆休みに突入。このため息抜きを兼ねて散歩に出れば、カンヅメ初日は勤め人が目立った東京駅は、日ごとに旅行者が増えた。小さな子供を含めた家族連れ、遠い地方の銘菓の袋を提げたカップル。毎年、テレビニュースで目にする光景がそこにあった。一方でその数日後、台風がUターンラッシュを直撃し、東海道新幹線が丸一日計画運休となった日は、昨日までが嘘(うそ)のように人が減り、運転再開と直後に起きた天候によるトラブルが発生したその翌日は、駅舎の外まで人があふれた。

 わたしにとってそれまで東京駅は、あくまで通過する場だった。駅周辺の店で食事や買い物はしたが、それは通過途上の立ち寄りに過ぎなかった。だが短期間でもそのかたわらに寝起きし、仕事に食事にと「生活」の真似事(まねごと)をしてみれば、多くの人々が行き交う駅が日々異なる顔を見せる事実につくづく驚かされた。

 同時に、毎日ほぼ同じ時刻に同じ場所を歩いていると、駅で働く様々な人々の活躍がよく分かった。毎日、同じ時刻にちゃんと開き、同じ時刻に眠りにつく駅。それを我々が交通手段の入り口として使い得るのは、そこを仕事の場とする方々がいらっしゃればこそだ。恐らく似たことはきっと、駅以外の場にも言えるのだろう。誰かにとってただ訪れるだけの観光施設、食事するだけの店。それらは他の誰かにとっては仕事や生活の場でもあるが、人は往々にして、自分が必要な性質だけがその場所のすべてと考えがちだ。場の幾つもの顔、幾つもの姿。それら一つ一つに気づくことができれば、日々はもっと多彩になるに違いない。=朝日新聞2023年8月23日掲載