「リスボン大地震」書評 「知の震源」を広角の文章で描く
ISBN: 9784560093719
発売⽇: 2023/08/30
サイズ: 20cm/276,11p 図版16p
「リスボン大地震」 [著]ニコラス・シュラディ
1755年のリスボン大地震は、ヨーロッパの哲学や都市計画、宗教的道徳心などに決定的な影響を与えた。聖職者が絶大な権力をもった宗教都市リスボンが、万聖節の朝に一瞬で廃墟(はいきょ)と化す――地震が神意に関わらない自然現象であることを、これほど強烈に示す出来事はなかった。そのショックは近代地震学の誕生を促すとともに、ヴォルテール、ルソー、カントら啓蒙(けいもう)思想家たちに小説や社会科学の糧を与えた。18世紀のリスボンは20世紀のアウシュヴィッツのように、いわば〈知の地震〉の震源地になったのである。
私の知る限り、本書はこの大地震を扱った書物としては、非常に良質の部類に入る。そこでは「社会が災厄をどのように解釈し、混乱にどのように対応」したかが、スマートな文体で目配りよく再現されている。地震前後のポルトガル史を、これだけ広角の文章で描いた著作は少ないだろう。
そもそも、地震の前からポルトガルは内部崩壊を起こしていた。植民地ブラジルからは莫大(ばくだい)な富が流入していたのに、王室がそれを独占して国内産業は育たず、民衆は極貧状態にあった。リスボンには多くのアフリカ人奴隷が連行されて人種の混交が進む一方、ユダヤ人への迫害は「国家的損失」をもたらした。地震はこの衰えた社会にとどめをさしたのである。
震災後の社会を導いたのが大臣のカルヴァーリョである。彼は徹底した合理主義者として、聖職者を抑えて困難な復興をやりぬいた。彼の近代的な叡智(えいち)なしには、リスボンは放棄されてもおかしくなかった。その一方、彼は反抗する貴族や聖職者を、異端審問のような暴虐なやり方で処刑した。20世紀の思想は、理性がかえって野蛮をもたらすという〈啓蒙の弁証法〉に苦慮したが、それはすでにカルヴァーリョの二面性に現れていた。近代の夢と恐怖を味わい続けている私たちは、まだリスボン地震の余震のなかにいるのだ。
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Nicholas Shrady 米国生まれで、雑誌や新聞に評論やエッセーを寄稿。スペイン・バルセロナ在住。