日本列島のほぼ真ん中に位置する三重県は東西文化の境界で、複数の文化が共存してきた。ゆえに文化も多彩、小説の舞台も多彩である。
滋賀県境の鈴鹿峠(亀山市)からはじめよう。ここはかつて東海道の難所のひとつだった。坂口安吾『桜の森の満開の下』(1947年/岩波文庫など)の舞台である。
極悪非道な山賊がある日、峠で夫婦を襲って男は殺し、女だけを連れ帰って8人目の妻にした。ところが彼女はワガママで、他の妻は殺せとか都に戻りたいとか、山賊をさんざん翻弄(ほんろう)する。〈花の季節になると、旅人はみんな森の花の下で気が変になりました〉という一文で知られる傑作ホラー。今読んでもコワイ。
一転、海側を南に下り、ブランド牛で知られる松阪市は古都の香りが残る城下町である。梶井基次郎は大正13(1924)年、姉一家が住む松阪で夏をすごした。『城のある町にて』(1931年/角川文庫『檸檬(れもん)』所収など)はこの時の経験をもとにした短編である。
姉の家は松坂城跡に近く、主人公もたびたび城を訪れる。〈今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍(いらか)を並べていた〉という一文は、石垣の上から見下ろした町の風景を見事に表している。彼は妹を亡くした悲しみを内に秘めてここに来たのだ。『檸檬』の衝撃とはまた違う癒やし系の名編である。
さらに南に下って伊勢志摩へ。三重県の海側を代表する小説といえばやはり、三島由紀夫『潮騒』(1954年/新潮文庫)だろう。18歳の漁師・新治と、海女の初江の純愛を描いた超有名な青春小説だ。
舞台となった歌島のモデルは伊勢湾口の神島(鳥羽市)で、作中に登場する神社も灯台も〈その火を飛び越して来い〉と初江が叫ぶ監的哨跡も島内に現存する。物語はすべて島で完結するので絶海の孤島みたいに見えるのだが、伊良湖(愛知県)と鳥羽を結ぶ伊勢湾フェリーからも間近に望める小さな島だ。一種のユートピア小説といえるだろう。
内陸部へ向かって進むと、奈良県境近くに現れるのが、赤目四十八滝(名張市)、車谷長吉の直木賞受賞作『赤目四十八瀧心中未遂』(1998年/文春文庫)のクライマックスに選ばれた景勝地である。
尼崎(兵庫県)でやさぐれた生活を送る主人公。同じアパートのアヤちゃんと関係を持つも、彼女の情夫はヤバめの人、彼女自身も借金に縛られている。切羽詰まった彼女はいった。〈うちを連れて逃げて〉〈この世の外へ〉。かくて2人は赤目に向かうのだ。心中に適した場所ではない点が滑稽で、少し泣ける。
名張の北に隣接する伊賀市は、俳聖・松尾芭蕉の生誕地であり、またいわずと知れた忍者の里だ。
ゆえに芭蕉は隠密だったという説が絶えないのだが、その説を補強しつつ、芭蕉の青春期を描いているのが浅黄斑(あさぎまだら)『芭蕉隠密伝』(2005年/ハルキ文庫)である。伊賀国上野の農家に生まれた芭蕉は神童と謳(うた)われる少年で、みるみる連歌と伊勢帳合(ちょうあい)(帳面付け)を身につけ、才を買われて藤堂良忠の小姓(近習(きんじゅ))になった。『奥の細道』から遡(さかのぼ)ること約30年前の俳聖の姿が初々しい。
伊賀はまた伝統的な組紐の生産地である。北泉優子『忍ぶ糸』(1971年/講談社)は組紐職人の女性と大店の長男との結ばれなかった恋を軸にした物語。手に職のある女性は強い。この地も風物もたっぷり盛った、伊賀市在住作家の面目躍如たる恋愛小説といえるだろう。
さて、県内随一の観光地といえば伊勢神宮(伊勢市)。竹村優希『神様たちのお伊勢参り』(2017年/双葉文庫)はここが舞台だ。
主人公は派遣切りにあって伊勢神宮に神頼みに来た今どきの女性である。財布を盗まれ途方に暮れていたところ、見知らぬ女に〈私が泊まる宿に来い〉〈明日からはそこで働くといい〉と誘われた。そこは神様専用の宿、女は市杵島(いちきしま)姫だった。
全12巻を数えるライトノベル系の人気作。宿泊する神々は一応神話に依拠しているものの、完全にキャラ化されてアニメのごとし。神も人もごちゃ混ぜなのがこの地の魅力だ。〈そうだ、あのヒト、神様なんだっけ〉な不謹慎さがたまらない。=朝日新聞2023年10月7日掲載