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釣り好きだった高校生の堀本裕樹さんが憧れた開高健さんの「オーパ!」

開高健『オーパ!』(集英社文庫)

 和歌山のこんな田舎から早く抜け出したいと思っていた。高校生の頃だ。近所にある紀伊風土記の丘は、岩橋(いわせ)千塚古墳群が眠っている史跡だが、その山の頂上に登ってよくこの小さな町を見下ろした。田んぼが広がり、遠くに紀の川が流れ、その向こうに和泉山脈が見渡せる。和泉山脈を越えると大阪だが、その先に行きたかった。東京だ。東京しかない。

 大学進学をきっかけに上京しようと決意していた。同郷の作家で東京に行った中上健次にかぶれていた。しかし肝心の勉強ができなかった。国立大学を諦め、私立に絞った。だが、英語も国語も社会もいまいちだった。勉強もせず、陸上部の練習にあけくれ、受験に関係のない書物ばかり読んでいたのだから当然だ。ただ書くことは好きだったので論文は勉強した。論文だけで受かる東京の大学ってあるんやろか? そんな大事なリサーチもせずに走り、読み、釣りをしていた。

 そう、釣りで鬱憤を晴らしていたのだ。勉強して偏差値を上げれば、ある程度憂いが消えるのはわかっていたが、参考書すら開かなかった。逃げるように釣りをしていた。

 家から自転車を20分ばかり走らせると、蜜柑山の中腹にある溜池に着いた。ここは中学生の頃から来ているお気に入りの釣り場だ。釣れるのは鮒、鯉、ブルーギル、ブラックバスといったところ。間違って釣り針に亀がかかることもあった。蜜柑の木をはじめ、草木に覆われた溜池はいつも静かだった。鳥の鳴き声と時折魚の跳ねる音しかしなかった。

 ここに来てルアーを投げていると、ざわついていた心が静かになっていった。ブラックバスがルアーに食いつく瞬間を今か今かと集中して待ちながら、何度もキャスティングする。バスがルアーに食いつくのは一瞬だ。その瞬間に合わせてロッドをしならせる。ガツンと、ロッドに手応えが走り震え出す。ぐいぐいとルアーを咥えたまま、バスが水中を駆け回る。やがて、力尽きたバスを岸にじりじりと慎重に引き寄せて捕まえるのである。

 この震えるような喜びは何だろう。腹の底から湧き上がる快感がたまらない。上京の夢も受験の憂いもすっかりこの時ばかりは忘れて、ただバスの大きな口、つぶらな瞳、銀色の鱗の輝きに見惚れるのだ。そうしてまた、溜池に還してあげる。キャッチ・アンド・リリース。「グッドバイ!」と言って、魚が元気に泳いでゆく様を見送る。これは釣り好きで知られる開高健の仕種の真似である。

 中学生の時、和歌山市にある一番大きな書店・宮井平安堂(今はもうない)で初めてハードカバーの新刊を親に買ってもらった。それが開高健の『生物としての静物』というエッセイ集であった。中学生の僕には内容が大人過ぎて、理解しかねる部分も多々あったが、その背伸びに自分で酔っていた。

 本書の冒頭の文言〈長い旅を続けて来た。/時間と空間と、生と死の諸相の中を。/そしてそこにはいつも、/物言わぬ小さな同行者があった。〉からしてかっこいい。滝野晴夫の挿画も渋い。この本を手に取るだけで、大人になった気分になる。吸ったことのないラッキーストライクの味を想像して憧れた。

 それから高校生になって、開高健の釣り紀行文『オーパ!』に魅了される。その頃、勉強しなかったと前述したが、さすがに定期試験を控えると、少しはテスト範囲を復習した。その時は釣りも我慢した。代わりに『オーパ!』を読んだ。勉強に飽きると、読み耽った。そこには大きな世界が広がっていた。和歌山も東京も日本も飛び越えて、巨大なアマゾン川が悠然と流れていた。密林に覆われた大河の流域をさまよいながら、開高健は獰猛なピラニアをはじめ、ブラックバスに似たトクナレ、黄金色に輝くドラド、世界最大の淡水魚ピラルクーを求めて釣り歩くのだ。

 近所の小さな溜池で釣っていた僕にとっては夢の世界である。なんと勇壮な釣りであろう。本書の冒頭では〈何事であれ、/ブラジルでは驚ろいたり/感嘆したりするとき、/「オーパ!」という。〉とある。開高健が驚嘆するたびに、僕も同じように驚いた。テスト勉強に飽き飽きした高校生にとって本書は毒なのか、薬なのか。とにかく激しく「オーパ!」を求める当時の僕がいたのだった。

 開高健の用いる警句や金言にも痺れた。〈何かの事情があって/野外へ出られない人、/海外へいけない人、/鳥獣虫魚の話の好きな人、/人間や議論に絶望した人、/雨の日の釣師……/すべて/書斎にいるときの/私に似た人たちのために。〉

 序章に置かれた、本書への魅惑的な誘いの言葉。自分もテスト勉強で野外に出られないのだ。ちっとも進まなくて絶望しているのだ。さあ、『オーパ!』の旅に出かけよう! そんな都合の良い怠け心で、耽読したのだった。

 開高健はムクインというダニに噛まれ体を掻きむしりながら、アマゾン川のとろりとしたお汁粉みたいな水を飲んだり、現地のあらゆる食物を果敢に喰らい、動植物に触れ、魚を釣りまくる。黄金に煌く鱗を持ったドラドを釣り上げた瞬間の感動は、臨場感溢れる見事な文体で、読み手にまでその達成感や恍惚を伝播し味合わせてくれるのだった。

『オーパ!』は今でもこの日常に倦んだときの逃避行であり、僕の愛読書である。

 思えば、田舎町から東京に出たいという僕の欲求も、何かしらの「オーパ!」を求めていたのだろう。僕にとって、黄金のドラドは、一見光輝しか纏っていないように見える虚像の東京であったのかもしれない。