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「盧溝橋事件から日中戦争へ」書評 戦火拡大なぜ 中国側史料から

評者: 前田健太郎 / 朝⽇新聞掲載:2023年10月21日
盧溝橋事件から日中戦争へ 著者:岩谷 將 出版社:東京大学出版会 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784130203142
発売⽇: 2023/09/01
サイズ: 22cm/274,28,6p

「盧溝橋事件から日中戦争へ」 [著]岩谷將

 1937年の盧溝橋事件は、発砲事件として始まった。では、なぜそこから戦火が拡大し、日中戦争に至ったのか。これまで、日本が侵略に踏み切った理由については多くの考察があるが、中国が早めに停戦に持ち込まなかった理由は謎だった。一見、侵略に抵抗するのは当然だが、蔣介石政権にとってはそうではない。日本との全面戦争による国民党の消耗は、戦後の内戦で共産党に敗北する原因となった。本書は、この問題に中国側の史料から接近し、日本側から見るのとは異なる形で戦争への道を描く。
 まず事件当初、現地の北平(現・北京)では日中双方とも穏便な事件の処理を目指し、交渉を開始した。だが、中国側の指揮官がいくら停戦を命じても、対日感情の悪化した前線部隊が新たな衝突を起こしてしまう。南京の蔣介石も、事態を収束させるどころか、現地の軍の寝返りを懸念して増援を派遣した。その結果、現地解決が不可能となり、日本の総攻撃が始まる。
 その直後の第2次上海事変にも、中国側の戦略が影響を及ぼした。短期決戦による有利な講和のために戦端を開いた蔣介石は、戦局が不利に傾いても欧米諸国の介入に期待して撤退せず、被害を拡大させる。勝利を収めた日本軍は、そのまま現地主導で進撃し、南京の陥落に至った。この段階で日本側が要求をつり上げた後も、ドイツによる調停(トラウトマン工作)は続き、中国側の指導部では和平を望む声が優勢となった。だが、和平後の失脚を恐れる蔣介石は強硬姿勢を取り、交渉は打ち切りとなる。
 以上の本書の記述は、戦時のリーダーシップの分析としても興味深い。毅然(きぜん)と敵に立ち向かう指導者は称揚されがちだが、本書はむしろ、味方を抑えて不要な戦いを避けることの重要性を説いている。今日のウクライナ戦争も、いつかは停戦を探る時が来るはずだ。遠い昔の戦争を描いた本書は、今の時代についても多くのことを考えさせる。
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いわたに・のぶ 1976年生まれ。北海道大教授。専門は中国政治史。著書に『日中戦争研究の現在』(共編著)など。