もしも死んだら葬式代わりに上映してほしい、とまで思える映画が、ひとつある。
アンドレイ・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』だ。17歳の時以来、200回以上観ている。無人島に持っていくなら、断然これだ。それが一生でも、構わない。
モスクワからイタリアにやってきた詩人、アンドレイが、18世紀のロシア人作曲家の伝記を書くため、女性通訳と車でイタリア全土を旅している。からだはイタリアにありながら、魂がロシアに戻ってしまって、記憶の中の場所を、幻になったように始終うろうろしている。
旅の途中でアンドレイは、世界の破滅から家族を守るため、家の中に7年閉じ込めたという老人、ドメニコの廃屋を訪れる。近くには広大な温泉がある。テニスコート2面分くらいの石造りで、天蓋も壁もなく、常に湯煙をあげている湯殿だ。
ドメニコはアンドレイに頼み事をする。
――この蝋燭に火をともして、あの温泉の湯の上を、端から端まで渡ってくれ。やってくれたら、世界を救える。
アンドレイはモスクワへ帰る直前、ふと思いとどまって温泉へ戻ると、蝋燭に火をつける。湯の干上がった温泉を歩いて渡ろうとすると、風で焔が何度も消え、心臓の持病が悪化して息も絶え絶えになる。
一方、ドメニコは、イタリア全土から「仲間」をローマの広場に集め、世界を救済するための演説を行うと、自分のからだに石油をかけて火をつける。
ドメニコの死の瞬間、蝋燭の焰を手に心臓発作を起こしながら、温泉を渡り終えたアンドレイは、自身が故郷のロシアの大地に抱かれてある「ヴィジョン」と向き合う。
炎に焼かれて絶命するドメニコと、焔を運んで息絶えるアンドレイ、この2者が完全に重なり合う時間と空間の極点に、観ているこちらの魂とからだも重なり合うような、凄まじいラストシーンがある。
このラストシーンについて、タルコフスキーはこのように書き残している。
“私はロシアの家を、イタリアの寺院の壁の中に置いた。(中略)これはいわば主人公の内的状態の模型であり、彼に以前のように暮らすことを許さない、彼の意識の分裂の模型である。あるいはおそらく逆に、これは彼の意識の新しい統一体なのだ。つまり、この新しい統一体は血を分けたという唯一の分離不可能な感覚のなかに、トスカーナの丘陵地帯とロシアの村を有機的に内包しているのである。”
(『映像のポエジア 刻印された時間』アンドレイ・タルコフスキー、鴻英良訳 ちくま学芸文庫)
◇
幼い頃の記憶が希薄だ。
好きな食べ物はカレー、好きな時間は3時のおやつの時間(生まれた時間も同じ)、好きな球団は広島東洋カープ(小学生当時は広島の郊外団地に住んでいた)、そういう単純な子ども時代が、奇妙に遠くてよそよそしい。
小さい頃から、短い間隔で引っ越しがあった。幼馴染はみんな疎遠になった。大人になって6回転職した。
けれど、その時々に住んでいた家の間取りや、子ども部屋や、階段のことはよく覚えている。
うとうとまどろむ明け方、暗い頭の中で、記憶の中の家々の廊下を行き来して、トイレに駆け込んで、熱を出して寝ている幼い妹を廊下から眺めて、ベランダに立って住宅街を見晴らしたりして、家の外へ出ると、学校への通学路の坂道をうろつく。
目覚めると「何の思い出もないのにどうして『ここ』なんだろう」と思う。それらの場所に、まどろみの中で何度も何度も立ち戻っている。
そのうちほんとうにあったのとは違う形に、回廊や階段や屋根裏なんかが加わって、歪められて、形が変わっていく。
ひと気のない場所と時間を、あるところから際限なく眺めて、ほとんどまなざしだけの存在になっている時、ふと思うのは「これって亡霊のまなざしだよな」ということ。この世に属さない何者かの視線と重なり合っている。
まどろみの中で、『ノスタルジア』の世界を確かに経験している、ように思う。
◇
タルコフスキーは結局ロシアに戻ることなく、パリで客死した。
けれど、この映画は、ただの望郷の映画じゃない。激しく狂おしく、とても静かで、もの凄い熱量を内包して、何かの強烈な夢の中にとらわれている。
いや、夢の中、なんてもんじゃない。もっと凄まじい、焼け焦げるようなヴィジョンの中で「懐かしい何か」を熱望する、もう死んでしまった魂のたたずまいと彷徨が、激しく切なく描かれている。
この『ノスタルジア』のように、世界の中で自分が存在できたら、最高だ。ジャンルの壁はともかく、たった1行でもいいからこういう世界感覚を描きたい。今回出た時代小説『主君押込』のラスト25行は、自分にとって、まさにそういうものだった。
『ノスタルジア』を観るたび、目の前の世界への羨望というか、強烈な懐かしさと愛着で、映画と一体化して燃えながら、宇宙の中心で永久に静止しているのを体感する。
からだは今、ここにあるけれど、『ノスタルジア』の向こう側を欲望して、魂がそっちへ戻ろうとする抗いがたい引力にとらわれている。