コロナ禍前の二〇一九年十一月以来、約四年ぶりに外国へ行った。
数年に一度開催されている日中青年作家会議への参加で、今回の開催場所は浙江省紹興市。紹興酒の産地とはすぐわかったが、魯迅の出身地とのことで、中国、そして日本の近代文学にも関係の深い場所だった。
会議も宿泊も大学の構内だった。学生寮が充実していて、夜まで学生たちがバスケットボールをしていたり近くのモールでごはんを食べていたり、若々しい空気があった。車もバイクもほとんどが電気、支払いはスマホ決済で現金はほぼ使わないなど、変化のスピードに驚きもした。
この十年ほど、仕事で外国に行く機会を多くいただいた。アメリカや韓国、アイルランドなど十数か国。行き先はだいたい日本文学を研究している大学や文学関連施設だからそれほど多様な経験をしているわけではないが、それでも普段とは別の場所に実際に行ってみるのは大きなできごとだった。
その前はほとんど旅行しなかった。外国に行ってみて強く思うことは、もしかして私はもっとどこかに行くことができたのではないか、ということ。私が若いときは今より世の中の経済的状況がよかったので海外旅行や留学、バックパッカーの旅などに行く人も多かったが、自分にはできないと思い込んでいた。未知のことは怖いし、身近で外国の話を聞くこともなく、遠く感じていた。留学などする能力はないと決めつけていた。それが実際行ってみると、あれ、もしかして、私もがんばってみたらよかったのかも、と考えてしまう。努力以前に、なんというか、自分も行けるかもとの発想がなかったのだ。
友人の子供が高校の修学旅行で欧州へ行ってきたらしい。海外への修学旅行には賛否があるかもしれないが、外国に行こうと思えば行けると知るにはとても貴重な機会じゃないだろうか。だからこそ「経験の格差」にもなり得るのだけど。=朝日新聞2023年11月1日掲載