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ジョン・ウィリアムズ「ストーナー」 美しい小説、売れ始めたきっかけは

 夜、本棚に目をやり、視界の端に入ればいつも寂しい、あの静けさと共に、ああ、美しい小説だったと思い出す。たまに手に取り、一文一文を噛(か)み締めている。大切な本のひとつだ。

 刊行は九年前。翻訳の賞を取り、海外文学の読者の間では、小さくない話題になった。その後二年三年と経っても、ふと話題にのぼる小説だったし、自店の店頭でもゆっくり動き続けた。けれどそれは決して、派手な動きでもなかったはずだ。

 今年一月、MARUZEN&ジュンク堂渋谷店閉店の日に、ウェブメディア「オモコロ」にて、「巨大書店で戦え!本屋ダンジョン・バトル」という記事が公開された。一見ふざけているようで、愛をもって書店を楽しみつくす、感動的な記事だった。

 同記事の途中で、ライターの原宿氏によって、熱をもって語られるのが本書だった。唐突に書名を目にした瞬間、私にはまた、冒頭に書いたような寂しい感慨がわきあがった。

 その熱がきっかけとなり、本書がまた売れているらしい。渋谷店なきいまも、氏の推薦帯つきで売られている池袋店では、ランキングに入り続けているそうだ。最近も二ケ月連続で重版され、現時点で二十六刷一万五千部。なくなった書店からの、思わぬ置き土産といえる。

 描かれるのは、真摯(しんし)だが地味なひとりの大学教員の一生である。誰にでも訪れるくらいの小さな出来事がときにきっかけとなり、動いていく人生のなかで、静かに歳(とし)を重ねていく。

 本にも一生がある。そのなかで、一本の記事が、一軒の書店が、小さな声を発することがある。運よく折り重なれば、ときにきっかけとなり、新たな読者という幸運をもたらす。

 元を辿(たど)れば、原著の初版は一九六五年。経緯はあとがきに詳しいが、忘れられていた本書が二〇一一年、フランスで翻訳されたところから、本書の数奇な運命はつながっている。ふとしたきっかけで、本はいつでも読まれ得るのだ。=朝日新聞2023年11月4日掲載

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 東江(あがりえ)一紀訳、作品社・2860円=2014年刊。訳者は亡くなる直前まで家族に口述筆記を頼んで訳了をめざしたという。「この作品の翻訳に文字どおり『命を賭して』いた」と出版社。