瀬戸内に面した香川県は面積が日本一小さい県である。24ある有人の島のうち最大なのが、壺井栄『二十四の瞳』(1952年/角川文庫など)で知られる小豆島だ。
1928(昭和3)年、島の岬の分教場に赴任した大石先生と12人の教え子たちの物語。国民的文学というべき作品ながら、先生が岬の分校にいたのはわずか半年。その後日本は戦争に向かって走り出し、成長した子どもたちも、結婚して3児の母となった先生も戦時体制に呑(の)み込まれる。〈男の子ったら半分以上軍人志望なんだもの。いやんなった〉とこぼす先生。学校を背景にした一種の反戦小説ともいえるだろう。
現在でも小豆島を舞台にした作品は少なくない。新堂冬樹『僕の行く道』(2005年/双葉文庫)で、母の居場所を突き止めるべく小学3年生の少年が家出同然で目指すのは小豆島。角田光代『八日目の蝉(せみ)』(2007年/中公文庫)で不倫相手の娘を連れ去った女性が逃避行先に選んだのも小豆島だった。
このような小豆島逃避行の元祖は「咳(せき)をしても一人」などの自由律俳句で知られる尾崎放哉(ほうさい)だろう。大石先生が岬に赴任する前の1925~26年、放哉は小豆島で最後の8カ月をすごし41年の生涯を閉じた。
吉村昭『海も暮れきる』(1980年/講談社文庫)はその最後の日々を描いた作品。帝大を出て一流会社で出世するも、酒に溺れて職も妻も失った放哉。肺病を患っている彼は寺の住職や島民の善意に頼って生きている。だのに態度は不遜で酒浸り。小豆島には八十八カ所霊場があり、お遍路や旅人を慈しむ文化があった。漂泊の俳人が隠遁(いんとん)するには最適の地だったのかもしれない。
さて、香川県への逃避行はまだ続く。村上春樹『海辺のカフカ』(2002年/新潮文庫)の主人公・田村カフカが15歳の誕生日に家出して夜行バスで向かった先は高松市である。〈地図帳を眺めていると、四国はなぜか僕が向かうべき土地であるように思える〉くらいの理由で高松に来たカフカだったが、郊外の由緒ある私設図書館(甲村図書館)に通い詰め、やがてこの図書館で寝泊まりすることを許される。
村上春樹らしい不思議体験も仕込まれているものの、琴平電鉄沿線にあるらしき図書館は周囲の町並みも建物もリアル。ファンの間ではモデルはどこかと話題になった。
自由を求めて讃岐に来る少年あれば、讃岐で青春を謳歌(おうか)する高校生あり。文芸賞と直木賞を受賞した芦原すなお『青春デンデケデケデケ』(1991年/河出文庫)の舞台は1960年代の観音寺市だ。
ベンチャーズに衝撃を受け〈やっぱり電気ギターでないといかん!〉と思い立った「ぼく」。メンバーを集め、夏休みのバイト代で楽器を買い、河原のテントで合宿し、晴れの舞台は文化祭。ド直球の青春バンド小説ながら、炸裂(さくれつ)する讃岐弁は唯一無二。ちなみに村上春樹と芦原すなおは大学の同級生だそうだ。
宮部みゆき『孤宿の人』(2005年/新潮文庫)は海と山に挟まれた丸海藩(旧丸亀藩がモデル)で繰り広げられる時代小説。主人公は9歳の少女・ほう。江戸から金比羅参りに来て置き去りにされたほうは紆余(うよ)曲折の末、幕府の要人だった流人・加賀殿の屋敷で下働きを命じられる。鬼だ悪霊だと噂(うわさ)される加賀殿はしかし彼女に読み書きを教え、2人の間には師弟愛が育つのだ。名前の由来は阿呆(あほう)の呆。そう聞かされて育った少女の流転の物語である。
話変わって、こちら東洋の全体主義国家・大東亜共和国。この国は毎年全国の中学3年生50クラスに戦闘ゲームを課しており、選ばれたのは香川県城岩町立城岩中学校3年B組だった。高見広春『バトル・ロワイアル』(1999年/幻冬舎文庫)は身の毛がよだつ問題作だ。
修学旅行のバスごと政府に拉致され、連行された先は高松沖の架空の島・沖木島。そしてはじまる42人の生徒同士の殺し合い! 大石先生が知ったら気絶しそうな激辛学校小説だけれど、これは現代日本への痛烈な批判と解釈すべきだろう。今日の子どもたちは過酷なサバイバルゲームにさらされている。のどかな島はいつでも戦場になり得るのだ。=朝日新聞2023年11月4日掲載