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阪神、38年ぶり日本一。甲子園をしびれさせた湯浅京己投手の「夜間飛行」 中江有里の「開け!野球の扉」#8

(Photo by Ari Hatsuzawa)

 11月4日の夜、私は知人たちと4人で西成の商店街を歩いていた。
 突然、斜め後ろあたりから声がかかった。
 「阪神、勝った?」
 声の主は、立ち並ぶ居酒屋の一軒から飛び出してきた男性外国人。
 「……負けました」。日本語が流暢だな、と心の中で思う。
 その後もすれ違う人から立て続けに「阪神どないやった?」「阪神勝ったんか?」と訊かれた。
 さっきと同じようなやり取りを繰り返し、結果を知った人々はがっくりし「明日は勝つで!」と無理やり元気を出して散り散りに去っていった。
 どうして私たちに試合結果を訊くのか? 答えはすぐわかった。
 この日は日本シリーズ第6戦。京セラドームからの帰り、4人とも阪神のユニフォームを着たままだった。

(Photo by Ari Hatsuzawa)

 59年ぶりの関西ダービー。
 パ・リーグの覇者オリックスバファローズは、日本シリーズ3年連続出場の、連覇を狙う王者。
 一方の阪神タイガースは、38年ぶりの日本一のタイトルをめざす挑戦者。
 いやいや、ようここまで上り詰めたわ、はっきりいうて、オリックスは強いけど、岡田阪神も負けられへん。

 日本シリーズは第3~5戦を甲子園で、先掲の通り第6戦を京セラドームで観戦した。
 特に甲子園での3連戦は、白球の行方とともにいちいちどよめきがあがる。隣の人と肩が触れ合うほど人がひしめき合うライトスタンドは、ペナントレースともクライマックスシリーズとも違う緊張感が漂っていた。選手も緊張しているのだろう。両チーム、思いがけないエラーも出た。

 第3戦は惜しくも負けたが、5-1のビハインドから最後は1点差に詰め寄ったことで、明日への期待が高まった。
 第4戦、3-3の拮抗した展開が続いた。このままいけば延長戦か?
 迎えた8回表、2アウト1,3塁のピンチで岡田彰布監督が投手交代を告げる。
 ブルペンからマウンドへ向かうリリーフカーの助手席に座るのは誰?
 オペラグラスを覗いて確認できた背番号は65。
 「え……まさか」
 湯浅京己投手の名がアナウンスされた時、耳をつんざくような歓声が起きた。

 ここで記憶がプレイバックする。6月15日、私は甲子園でオリックスとの交流戦を観戦していた。2-1で阪神リードのまま迎えた9回、クローザーとして登板した湯浅投手は、頓宮裕真選手に同点打、杉本裕太郎選手に逆転のホームランを打たれた。
 あの日以来、139日ぶりの一軍登板だった。

(Photo by Ari Hatsuzawa)

 『星の王子さま』で知られるサン=テグジュペリは飛行家でもあった。自身の経験を小説として描いた『夜間飛行』は、パイロットが命がけの職であった20世紀初頭が舞台。
 夜間郵便飛行という新事業に挑むパイロットのファビアンが、操縦席の内側にある計器類を調べ、確認する。
 配電盤をそっとたたき、スイッチをひとつずつ触れ、レバー類が確実に動くことを確かめる。
 まるで自分と飛行機を一体化させるように、ファビアンは感覚を研ぎ澄ます。
 空を飛ぶリスクを恐れているのではなく、きっと空を自由に飛ぶ喜びを得たいのだ。
 ファビアンにとって、空を飛ぶことはこの上ない幸せで、快楽でもあるのだろう。

(Photo by Ari Hatsuzawa)

 野球選手はよく試合を「楽しみたい」というが、楽しむためには、当然準備がいる。
 体を鍛えぬき、充分に準備しても、うまくいかないことは、ままある。
 6月15日以後、二軍調整となった湯浅投手は左わき腹を痛め、長期離脱となった。
 もう今季は一軍に戻れない――そんな報道もあったので、日本シリーズ登板はまさにサプライズ。湯浅投手は1球でセカンドフライに打ち取り、マウンドを降りた。
 この1球のために、感覚を研ぎ澄まし、念入りに準備を重ねてきたのだろう。
 そして9回、阪神はサヨナラ勝ち! オペラグラス越しに見えた湯浅投手は、笑顔だった。
 夜空の甲子園を舞台に、相手に押され気味だった試合の空気を一変させ、勝利を呼び込む「夜間飛行」の難ミッションを完遂した瞬間だった。

 11月5日、第7戦を現地観戦することは叶わず、私は帰京した。
 ともに3勝3敗、今日勝ったチームが日本一。絶対に阪神が勝つ、とは思えない。前日の第6戦で、山本由伸投手にわずか1点に抑えられた試合を観た後では「正直無理かも」と思わざるを得ない。
 だけど不思議なくらい、気持ちは晴れ晴れとしていた。

 振り返って、甲子園で観た3試合は、野球の面白さが詰まっていた。
 どんな状況でも最後まであきらめない、粘り強く、くらいついて一気に流れを変えていく。
 現地で観た、そんな選手たちの姿を思い出したら、劣勢になった途端、諦めモードになった自分が恥ずかしくなった。
 こんな素晴らしい試合を見せてくれた。結果はどうであれ、心からありがとうという気持ち。
 どんな結果でも受け入れよう。

 この1年、阪神タイガースを追いながら、野球には目に見えない「気」があることを何度も感じた。
 その場の「気」を支配した側が勝つ。でもどうすれば「気」が自在に扱えるかはわからない。
 懸命に、泥臭く戦うことで「気」が阪神に傾いたことが何度もあった。
 勝つには「気」を信じなければならない。諦めずに、常に勝利を目指す者に「気」は流れる。
 きっと「気」は挑む者の味方になる。

(Photo by Ari Hatsuzawa)

 第7戦は今季の開幕投手だった青柳晃洋投手。独特のクォータースローの投球がオリックス打線を惑わせ、5回途中で降板するまで0点に封じ込める。
 今季8勝6敗。二軍落ちも経験し、思うように投げられなかった青柳投手だが、やっぱり阪神のエースやった!
 青柳投手から伊藤将司投手、島本浩也投手、桐敷拓馬投手と続くリレーで無失点を続ける間に、阪神は着実に加点して点差を広げていく。そしてクローザー岩崎優投手がマウンドに立った時、日本一を確信した。
 それにしても139日ぶりの登板の湯浅投手しかり、開幕戦と今季ラストを飾る青柳投手しかり、どこまで伏線をはって、見事に回収していくのか? 岡田阪神にはしびれまくった。

 飛行機は操縦士なしで空を飛べないように、選手なしで野球は成立しない。
 選手たち一人一人のプレーがファンをその「気」にさせて、勝利の「気」運を導き、そして日本一にたどり着いた。

 阪神タイガース、ほんまにおめでとう。
 まずはゆっくり休んで、疲れを癒してください。そして来季も待っているで!

中江さんが自ら語る観戦記の裏側

 ポッドキャスト「好書好日 本好きの昼休み」に中江さんが登場。タイガース観戦記の裏話など、連載エッセイの知られざるエピソードをお話しいただきました。