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「ウィーン ユダヤ人が消えた街」書評 急速な迫害 18万人が6千人に

評者: 藤野裕子 / 朝⽇新聞掲載:2024年01月13日
ウィーン ユダヤ人が消えた街 オーストリアのホロコースト 著者:野村 真理 出版社:岩波書店 ジャンル:社会・時事

ISBN: 9784000222457
発売⽇: 2023/11/16
サイズ: 20cm/234,14p

「ウィーン ユダヤ人が消えた街」 [著]野村真理

 ドイツでは5年で実施されたことが、オーストリアでは5日間で強制された、という表現が印象的だ。第2次大戦時のオーストリアで、ユダヤ人迫害がここまで急速に進んだことは、あまり知られていない。
 1938年に同国がドイツに合邦されると、ユダヤ人は就業できない状態に追い込まれ、国外への移住を余儀なくされた。約18万人だったユダヤ人人口は、合邦から1年半で、11万人以上も減じた。その後の移送・殺害を経て、44年末には約5800人であったという。まさに、ウィーンから「ユダヤ人が消えた」のだ。
 前著『ウィーンのユダヤ人』以後、東欧各地のホロコーストについて研究を続けてきた著者は、本書を19世紀から説き起こす。これにより、ナチ・ドイツだけではなく、オーストリア自身のホロコーストへの関わりが見えてくる。
 合邦のはるか以前から、オーストリアには反ユダヤ主義の言説があり、ユダヤ人襲撃が断続的に起きていた。世界恐慌後には、失業したユダヤ人が職に就けないようにされ、生存条件が奪われていった。ナチの反ユダヤ主義に親和的な土壌ができていたのだ。
 もっとも、合邦後にユダヤ人の排除が急速に進んだのは、アドルフ・アイヒマンの推進したウィーン・モデルと呼ばれるシステムによる。移住本部を設置して煩雑な手続きを簡素化させる一方、移住費用をユダヤ人自身に調達させた。
 オーストリアはドイツに合邦された犠牲者であり、迫害の加害者でもあった。終戦後、オーストリアはナチによる迫害に国家が責任を負う義務はないとして、60年代までユダヤ人からの補償要求に十分に応じなかった。公式の謝罪は90年代に入ってからだ。
 一つの社会から特定の民族が消し去られる事態が、何によってもたらされたのか。ホロコーストの歴史を知ることは、ジェノサイドが進行する現在にあって、重要性を増している。
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のむら・まり 金沢大名誉教授(社会思想史・ヨーロッパ近現代史)。著書に『ホロコースト後のユダヤ人』など。