「夢中になった冒険小説」
――いちばん古い読書の記憶から教えてください。
多崎:振り返ってみると、就学したかしないくらいの時に祖母の家にあった大人向けの人体図鑑だったと思うんですよね。別に医者関係の家ではなかったのに、消化器系とか神経、動脈と静脈、骨格などの図版がたくさん載っている図鑑がなぜかあったんですよ。わりと難しい感じの本だったんですけど、カラーの図版を珍しく思ったのかもしれません。
他に祖母が買ってくれた松谷みよ子さんの『いないいないばあ』といった絵本もあったんです。でも祖母の家に行くと絵本よりもその人体図鑑を見ていました。ただ、骨格の図版が載ったページは怖くて、次のページにそれがくるんじゃないかと思って2ページ一緒にめくったりしてました。
――血管の絵は怖くないのに、骨は怖かったという。
多崎:たぶん、テレビで放送している「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる"がしゃどくろ"とか、お化け屋敷に行って骸骨が踊っていたりのを見てすごく怖かったので、そのイメージがあったんだと思います。すごくビビリだったんです。
――小学生時代はどんな感じだったのでしょう。
多崎:私はちょっとぼんやりした子供で、文字は読めても物語を読むということができなかったんですね。車で巡回する移動図書館みたいなものがあってリクエストすると本を持ってきてくれたんですが、そこでも結構図鑑を借りていました。高山植物の本や野の花の本、雑草の本などを借りては読んでいました。
ただ、姉が子供の頃からよく本を読んでいて、「これは面白いから」と言って私にも薦めてくれるんです。それで読んだのが、『少年探偵ブラウン』のシリーズでした。謎があって解答編があるような短い話がたくさん載っているんです。それは私にも読めました。
――謎解きを楽しんだのですか。
多崎:それがですね。読むのに一生懸命で謎解きはできなかったんですよ。謎解きよりも、ブラウンの友達が食べているアメリカンチェリーが美味しそうだなとか、そのチェリーが入っている丸めた英字新聞が格好いいなとか、そんな感じで(笑)。そこで謎解きに食いついていればミステリ作家になれたかもしれません(笑)。
――お姉さんとは年が離れているのですか。
多崎:いえ、ひとつ上です。姉はすごく賢くて、私が喋らなくても姉が全部言ってくれるので、それで私は大人しい子になったのかもしれません。同じようなものを食べて同じようなものを着せられて同じようなところに連れていかれていましたから、お姉ちゃんに任せておけば安心で、喋る必要がなかったのかな、って。
――振り返ってみて、本が好きだった子供だったと思いますか。
多崎:全然。姉がものすごく本好きだったせいか、自分は全然本を読まない子だというイメージがあります。でも、たいがい姉が薦めてくれるものは面白かったので、ちょっと難しいかなと思いながらも読んでいました。
転機になったのは、小学校3年生の時にあった学級文庫です。先生が持ってきた本をロッカーに置いておいてくれて、休み時間に自由に読んでよかったんですが、そのなかにジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』がありました。それを読んだ時に、殴られたくらいの衝撃を受けました。こんなに面白いものがあったんだ!って。学級文庫の本はみんなのものなのに、私はそれを休み時間に読んで授業中は机の中に入れ、また休み時間に読んで、読み終わったら最初に戻って読み返して、専有化していました。ほぼ1年間、私が持っていたんじゃないかな。何度も繰り返して読んで、うさぎが美味しそうだなとかダチョウに乗ってみたいなとか、アザラシの脂って臭いんだなとか、もう全部憶えるくらい読みました。それが読書体験の一番最初の核になったんじゃないかなと思います。冒険的なワクワクする話、自分がいる現実とは違う世界の話への憧れがそこで培われたと思います。ジュール・ヴェルヌは他の本も読みましたが、『十五少年漂流記』を超えるものはなくて、これがいちばん好きでした。物語が読めるようになる前から空想癖があったので、だからはまったのかなとも思います。
――あ、ぼんやりした子供だったとおっしゃいましたが、傍から見たらぼーっとしているように見えても、ご本人の頭の中ではわーっと空想が広がってるタイプでしたか。
多崎:そんな感じです。放っておくと何時間でもぼーっとしている子だったらしいんですよ。それでよく母に「幼稚園に遅れるから早く靴下はきなさい」などと怒られていました。時間という概念がなくて、何時までに幼稚園に行かないといけないとか分かっていなかったから、「急ぎなさい」と言われても意味が分からなかったんですよね。幼稚園でも先生に「早くお弁当食べなさい」などとよく言われていました。
――では、外で活発に遊んだりとかは。
多崎:わりと外でも遊んでいました。引っ込み思案で人見知りな子供でしたが、集合住宅住まいだったので周囲に同世代の子供も多くて。でも私はすごく背が低かったので、鬼ごっことかは、一度鬼になると永遠に鬼のままだったりするのであまり好きではなかったです。それよりも、異世界探検ごっことかをしていました。それこそ『十五少年漂流記』の影響なんですけれど、段ボールをいかだに見立てて、みんなでそれに乗って航海したりして。「島が見えた」とか言って、砂場を砂漠に見立てて「ここに家を築くんだ」とか言っていました。
――学校の国語の授業は好きでしたか。
多崎:授業はおしなべて嫌いでした。ぼーっとしていて、わりとついていけなくて、ちょっと出来の悪い子だったと思います。小学生の頃は文章を書くのも好きではなかったですね。語彙がなくて、自分の感情をうまく言葉にできなかった。言葉にできないからすぐに泣くって言われていました。本当にすぐ泣いていました。怒っても泣くし、悲しくても泣くし。
――読書体験は『十五少年漂流記』をきっかけに広がりましたか。
多崎:父が読書家だったんですが、すごく偏見のある読書家だったんです。「もっと本を読みなさい」と言って、お小遣いとは別に本を買うためのお金もくれたんですが、あまりに子供向けの本を買うと怒られるので、偕成社などから出ている世界や日本の民話とか、伝説の本を選んでいました。あとはグリム童話とか。やはり現実の話とは違う、空想的な話が大好きでした。外国の話はもうそれだけで未知の世界でしたから、外国の民話は本当に好きでした。
家には、いとこが送ってくれた子供向けの世界の名作全集のような本もありました。でもえり好みして半分くらいしか読まなかった。『オズの魔法使い』とか『幸せな王子』あたりは読みましたが、ちょっと難しそうで現実っぽい話は、題名も憶えていないですね。母は『小公女』や『若草物語』、『赤毛のアン』あたりを薦めてくるんですが、1回読んだらもういい、という感じでした。そうした話は自分にとってはワクワクが足りないんです。もうちょっと波乱万丈がいいんですよね。現実世界とは違う冒険があって、でも、つらくない話が好きという。
――では、その後、夢中になった本といいますと。
多崎:いつの頃か忘れてしまったんですけれど、エドモンド・ハミルトンの『キャプテン・フューチャー』シリーズがNHKでアニメになったことがあったんです。うちは漫画もアニメも禁止だったんですけれど、NHKのものならOKだったんですよ。それで『キャプテン・フューチャー』のアニメを見たらあまりにも面白くて、姉と「原作があるらしいから読みたいよね」となり、親にねだって町の本屋さんまで連れていってもらって、ハヤカワ文庫から当時、出ていた原作のシリーズを買いました。ルビが振っていないので読めない箇所もあったんですが、アニメで絵が頭に入っているのでだいたい分かるんですよね。それで姉とはまりまくって、全巻揃えたくなったんですが、当時はamazonもないし、近くの本屋にはちょっとしか棚がなくて。大きな町に出掛ける時は必ず本屋に入ってハヤカワ文庫の棚を見て、シリーズのうちのまだ持っていない巻がないかを探すのが二人のルーティンになりました。
一度、神保町に行くことがあって、その時に大きな書店に寄ったんです。今思えば三省堂書店でした。そこのハヤカワ文庫の棚の前に立ったら、全巻揃っていたんです。でもお小遣いがないから3冊しか買えなくて、「さあどれを買うか」と姉と吟味して買ったおぼえがあります。姉は読むのが速いので、私がちまちま1冊読んでいる間に他の2冊を読み終えて、「早く読め」ってせかされました。しかも私がまだ読んでいないのに、「この巻のここがすごく面白くてね」ってネタバレを言うんですよ(笑)。それで一生懸命急いで読んだ思い出があります。
――なぜそこまで好きだったのでしょう。
多崎:それこそ私が求めていた、見たことのない世界での冒険があったんですよね。それと、悪い奴と戦うところが、子供心に響いたんでしょうね。
読書に関しては偏食みたいなところがあって、子供時代はいわゆる文学系のものは本当に全然読まなかったですね。たぶん、ちょっと、反骨精神的なものがありました。小学校4年から5年に学年が上がるタイミングで引っ越しをしたんですけれど、その際、それまで集めてきた民話系の本や、姉と一生懸命集めた『キャプテン・フューチャー』のシリーズを、父が「こんなのくだらないから」と言って、全部捨てたんですよ。
――ええっ。『十五少年漂流記』を繰り返し読まれていたように、捨てられた本も繰り返し読んできた本だったのでは。
多崎:そうなんです。擦り切れるくらい繰り返し読んでいたし、好きなページがすぐ見られるように栞を挟んだりしていたんですよね。それを全部捨てられて、この時点で私のワクワクの世界は一度ジ・エンドになりました。うちでは父が否定するものはもう絶対に駄目で、読んじゃいけないものになってしまうんです。
――辛い。トラウマになりそう。
多崎:本当にそれがトラウマになって、父が「もっとまともな本を読め」と言って薦めてくる本が読めなくなりました。そもそも強制されて読むものって面白いと思えなくなるじゃないですか。それよりも禁じられた本に対する夢のほうが膨らんでしまって、本当にあれは辛かったですね。
引っ越した先の近所に図書館はなかったんですが、そこでも巡回図書館があったので、性懲りもなく民話の本などは借りて読んでいました。小学校の高学年になると、それまで苦手だったちょっと怖いものも読むようになりました。
「ツールをくれた小説、感銘を受けた短篇」
――新たに買って家に置いておける本は、お父さんのお眼鏡にかなうものでないといけないわけですよね。
多崎:そうなんです。自分の部屋がなかったので、こっそり買って取っておくということがあんまりできなくて。見つかるのも怖いし見つかれば捨てられてしまうし。ただ、私は読んだ端から忘れてしまうので、気に入った本は買って自分の手元に置いておきたいんです。お小遣いがないのでそんなには買えなかったんですけれど、やっぱり姉と密かにお金を出し合って本を買い、学習机の後ろに書架を作って隠していました。
中学生の時、近くの本屋さんにたまたま入って棚をぶらぶら見ていたんです。そうしたらすごく可愛い表紙の文庫本があったんですね。それが、コバルト文庫から出ている新井素子さんの『星へ行く船』でした。可愛いイラストの表紙だけれど小説だし、文庫本なら隠せるし、ということでこっそり自分のお小遣いで買って読みました。
読んで、すごく感動したんです。その時にはじめて女の子の語り言葉で書かれた一人称小説というものを読み、こういう書き方なら、私も書けると思ったんですよね。それまでずっと頭の中で空想を広げて物語を考えているのに、うまく文章にできずにいたんです。文章に残そうとして何ページかは熱心に書くんだけれど、そこで終わってしまっていました。でも新井さんの一人称を真似しながら書くようになって、はじめてちゃんと書き上げることができたのが中学1年生の時でした。
ですから『十五少年漂流記』は私の指針を決めた本、『星へ行く船』は、自己表現をするツールを与えてくれた本、という感じです。
――それまでも、書こうとはしていたわけですね。
多崎:自分の中にある空想を表に出したい気持ちがありました。気に入ったシチュエーションを何度も頭の中でシミュレーションするくらいなら、紙に書いておきたいと思ったんですよね。人に読ませるものではなく、自分だけの覚書みたいなものです。だから話の最初から最後までを考えていたわけではなくて、書きたい場面を書いたら満足しちゃって、それ以上進めなくてもいいかな、という感じでした。
それが、だんだん、やっぱり物語を書きたいと思うようになって、でもいわゆる三人称小説だとうまく書けなくて、「これじゃない」っていうモヤモヤ感がありました。それをブレイクスルーしてくれたのが『星へ行く船』だったわけです。実際書いてみると一人称も結構難しかったんですけれど、それでも三人称よりは書きやすかったです。
――どういう話を書いたのですか。
多崎:めっちゃ恥ずかしいんですけれど...学園ラブコメバトルものみたいな...。今も取ってあるんですけれど二度と読みたくない(笑)。
――学園ラブコメで、バトル要素もあるってことですか。
多崎:学園で、ずっと銃を持って戦っている話です。そういうものが大好きだったんでしょうね。人に読ませる前提ではなく、自分が読みたくて書いているものなので...。しかも当時は改行して段落を変えるってことを分かっていなくて、ノートにびっちり、改行もせずに書いたので呪いの書みたいになっていました。ノート2冊分あったのでちょっとした中篇だったような...いやいや、あれは小説とは読んではいけない(笑)。
その後もずっと、何かしら書いていました。完成させたものは少ないんですが、完成させたものでいちばん長いのがノート6冊分くらい。その頃にはもう改行という概念があったので、びっちり書いたわけではないんですけれども。
――それはどういう話だったんですか。
多崎:特殊な宝石というか、中にプログラムが入っていて、それを使うと人体を強化できる宝石のようなものがあって、それを盗む怪盗がいるという。でもその怪盗は実は組織から抜け出した人間で、組織を潰すために宝石を盗んで壊してしまおうとしている。一方で、そうした事情を知らないジャーナリスト志望の女の子が、真実を暴こうとして調査しているという話でした。
――すごく面白そうなんですが。
多崎:それは高校時代に書いたものですが、後にリメイクして投稿したことがあります。
――『星へ行く船』以降の読書生活はどんな感じだったのでしょう。
多崎:その頃に出ていた新井素子さんの本はほとんど全部読んだんじゃないかな。もう大好きでした。そこから他のコバルト文庫をちょっと読んだんですが、少女小説はあまり合わなかったんです。そうしたら、書店のコバルト文庫の隣にあったソノラマ文庫が目に入ったんですよ。
で、ソノラマ文庫にはまりました。高千穂遙さんの『クラッシャージョウ』シリーズを読み、菊地秀行さんの『吸血鬼ハンター"D"』シリーズを読み、火浦功さんの『高飛びレイク』シリーズを読みっていう、要するにスペオペ大好きじゃん私っていう(笑)。結局そこに戻るんですよね。抜け出せない。
――『キャプテン・フューチャー』の頃からスペースオペラ好きは変わらないという。
多崎:だから、わりと自分が書いているものも近未来っぽいものが多かったですね。SF的知識もないのに、そういうものを書くのが好きでした。
――読書や創作以外に、好きだったもの、打ち込んだものってありましたか。
多崎:小中学校時代はブラスバンド部で、部活がすごく忙しかったですね。私はフレンチホルンをやっていました。
ただ記憶に残っているのがちょっと悲しい話なんですけれど、そこで自分は一人で仕事をしたほうが性に合っているなと学びました。ブラスバンドって結局全員が努力しないと上手くならないですよね、当たり前ですけれど。公立中学の部活動なのでみんなわりといい加減なんですよ。でも私は本当に真面目で、基礎練習から何から、全部真面目に毎日びっちりやっていました。そしたらある時偉い先生が来て、「とりあえず君たちロングトーンやってみて」と言われたんです。みんなこうだああだと注文をつけられているなか、私がやった時にその先生がはじめて「君はうまいね」と言ったんですよ。やっぱり真面目にやると先生には分かるんだなって、嬉しいというよりはびっくりしました。でもそれで学んだのが、私一人が頑張ったってブラスバンドの質が上がるわけじゃないんだなってことだったんです。私は集団でやるものには向いていないと思いました。それで、私一人が努力すればちゃんとものになるものをやろうって思ったんですよね。
――一人の努力でできるものって、まさに小説...。
多崎:そうなんです。その頃から、書いたものを人に読ませるようになりました。他にも同じように小説を書いている子たちがいて、交換して読みあったりして。書いているものはバラバラで、国際諜報小説を書いている人もいたし、少女小説を書いている人もいました。お互いに「これいいよね」「あれいいよね」と言い合って、「あなたのキャラクターと私のキャラクターをコラボさせて何かしようよ」「このキャラクターはこれが得意だからこういう出番を作ろう」みたいなことを話すのが楽しかった。書かないまでも、考えるのがもう楽しかったですね。
――では、中学校時代にはプロの作家になろうという気持ちは芽生えていたのですか。
多崎:全然、全然なかったです。書くのが楽しくて、自分でそれを読むのが好きでした。人に読んでもらうのも好きではあったんだけれども、批評されるのは嫌でしたし。
――その後の読書生活はいかがでしたか。
多崎:また劇的な出合いがありました。これもまた姉がきっかけです。中学生の時だったと思うのですが、姉が高校の図書委員で読書会をやっていたんですね。長い話を1冊読むのはしんどいから短篇を読もうという話になって、レイ・ブラッドベリの「万華鏡」(『刺青の男』所収)を選んだんです。それがきっかけで私も読みました。宇宙船が爆発して乗組員たちが宇宙に投げ出され、音声だけで繫がりながらばらばらに漂っていく話です。
あんな短い話の中に、私の求めているものがすべてあると思いました。人間の怒りや憎しみや悲しみ、優しさや思いやりとか。憎しみあった人間同士の和解とか、圧倒的な救済みたいなものもすべてあって、なんてすごいんだろうと思って。
そこから高校生時代はブラッドベリを延々と読むようになりました。本屋に行くたびに買っていました。確かに「これちょっと分からない」という話もありましたが、本当に素晴らしい作品が多かった。そこから古典SFに流れて、アーサー・C・クラークやアイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインライン、ジャック・フィニイなども読みましたが、やはりレイ・ブラッドベリが一番好きだったな。
――多崎さんのペンネームの「礼」はレイ・ブラッドベリからとったそうですね。ブラッドベリの短篇も長篇も全部好きだったのですか。
多崎:短篇のほうが好きですね。長篇も面白くなくはないんですけれど、1回読めばいいやという感じで、短篇のほうが響くものがあって何度も読み返しました。
自分も高校生になって図書委員になった時に、姉と同じことをやろうとして、読書会で「万華鏡」を取り上げたんですよ。そうしたらベコベコに叩かれました。私はあんなに感動したのに、みんなは「浅い」とか「信憑性がない」とか「本当に宇宙空間に投げ出されたらこんなふうにはならない」とか「人間はこんなに簡単に人を許せない」みたいなことを言って...。小賢しい高校生が多くて、今だったらボコボコにしてやるのに、っていう(笑)。本当に死ぬしかないっていう状況で、最後くらいはいい人間でありたい、最後にちゃんと許して許されて死んでいきたい、という人間らしさみたいなものは、今考えても私は素晴らしいと思うんですけれど、「自分は賢いです」というタイプの人には合わなかったみたいですね。もうお前たちはブラッドベリを読まなくていい、と思ってました。なんかいまだに「ちょっと解せぬ」って思います。
――とはいえ図書委員で読書会をやるっていいですね。
多崎:そうですね。それで自分が普段は読まないものを読んだりもしましたし。
高校時代はとにかくSFを読みまくっていたのと、あとは、あの頃まだライトノベルと言わずにジュブナイル小説と呼ばれていたようなものを読んだりもしていました。菊地秀行さんの『吸血鬼ハンター"D"』は新刊が出ると「読んだ?」「読んだ読んだ」と周りでも話題になっていました。栗本薫さんの『グイン・サーガ』シリーズも新刊が出ていて。ただ私は30巻くらいで止まっているのであまり大きな声では言えないですね。
自分の本棚の文庫の棚は3分の1くらいがハヤカワSF文庫で埋まっています。私はハヤカワSF文庫で育ったんだなと思います。
「極貧の大学生時代」
――大学生時代はいかがでしたか。
多崎:家を出たくて、意図的に遠くの山の上のほうにある理系の大学を選び、レポートが忙しいからと言って2年生から一人暮らしを始めました。でもそれが本当に極貧生活で。1か月に家賃込みで5万5000円で暮らさなきゃいけなかったんですよ。家賃が3万5000円で、光熱費などを払うと手元に1万残るか残らないかくらい。それで1か月暮らすので、本を買う余裕がありませんでした。本屋も図書館も町まで行かないとなかったんですが、バスは片道200円で往復400円かかる。歩いていくとなると帰り道がもうものすごい坂道で、登山みたいになるという。そもそも実験やってレポート書いて予習復習やって忙しかったので、本を読んでいる暇もあまりなかったんですけれど。
――小説を読んだり書いたりするのが好きなら文系に進みそうな気もするのですが、理系だったのですか。
多崎:そうですね。学生時代は小説家になりたいと思っていなかったので。高校生の頃は今でいうキャビンアテンダントさんになりたかったんですよ。なぜかというと、飛行機が大好きだったから。馬鹿でしょう?(笑)本当は機長になりたかったんですけれど、頭が悪いのと目が悪いのと身長が基準に達していなかったのとで無理だったので、大学で英文科にいってキャビンアテンダントさんになるつもりで勉強していました。でもふと、「あれは女の職場じゃないか」と気づいたんですね。今自分はクラスで同年代の女子とこれだけ話が合わなくて、ともすればちょっといじめられることもあるのに、女の職場でやっていけるわけがないなと突然気づいたんです。それで断念しました。
じゃあ自分は何になりたいんだろうと考えた時に、CMを作るような映像作家になりたいなと思って。それで工学部で画像工学を教えてくれる大学に行きました。
――いろいろ意外すぎるんですけれど、飛行機が好きになったのはなにかきっかけがあったのですか。
多崎:姉が当時付き合っていた彼氏が、新谷かおるさんの『エリア88』という漫画を貸してくれたんですよ。どハマりしました(笑)。漫画を禁止されていたとはいえ、はじめて読んだ漫画というわけでもなかったんですけれど、新鮮でしたね。飛行機ってめちゃ格好いいと思いました。もともと子供時代にスーパーカーにはまったし、新幹線が大好きで見に行きたいって駄々こねたりしてたし、バイクも好きだったので、乗物全般、メカ全般が好きだったんです。で、飛行機は速いし格好いいし空を飛ぶじゃないですか。航空基地祭に行ってしまうくらいはまっていました。
――そこから映像に行ったというのは、映像も好きだったのですか。
多崎:洋楽が好きで、MTVで海外のアーティストのプロモーションビデオをよく目にしていたんです。当時は日本人アーティストはそれほどプロモーションビデオを作っていなかったんですが、海外の人は必ずといっていいほど作っていて、それがショートムービーみたいで好きだったんです。後になって、映像が好きというより、話を作るのが好きだったんだって気づくんですけれど。当時は映像とか写真系、広告系に進みたいと思って進学先を選びました。
――大学時代、まったく本は読まなかったのですか。
多崎:私がお金がなくて本とか漫画を買えないことを友人たちは知っているので、「なにか読むものがほしい」というと、みんな「これいいよ」って言って貸してくれるんです。それで、友達が『銀河英雄伝説』を貸してくれました。これはもうあまりにも好きすぎてどうしても自分でも欲しくなって、町に買い出しに行くついでに古本屋さんを三、四軒まわっては探して集めていました。その後、ちゃんと新刊で買い直しましたよ!
田中芳樹さんは他の作品も読みましたが、やはり長篇では「銀英伝」がすごく好きでした。それと、『流星航路』という短篇集は何度繰り返して読んだか分からないくらい好きでした。ブラッドベリで素地ができていたからなのか、短篇はやっぱり好きでしたね。
他には、友人が『ジョジョの奇妙な冒険』を全巻貸してくれたんです。紙袋にごっそり入ってました。読んで、なんて面白いんだろうと思いました。勉強が手につかなくなるからもうやめてーと思いながらも、どうしても続きが気になって1冊、もう1冊と読んでいました。
――大学時代、小説は書いていましたか。
多崎:書いていました。机の上にレポートの山があって、隣に小説を書くための山があって、レポートを仕上げたら、「さ、遊ぶか」という感じて小説の山を引っ張り出す感じでした。ただ、長い話は考えられなくて、短い話が多かったですね。本編のない外伝みたいなものを書いていました。
――アイデアに枯渇することってなかったのですか。
多崎:全然なかったです。自分が好きなシチュエーションがいつでも楽しめるよう、自分を満足させるために書いていたので枯渇ということは全然ないし、枯渇するなんて考えたこともなかったです。授業中でも、「これ面白いな、物語のネタになるな」などとずっと考えていました。
「自分が好きなものを書きたい」
――卒業後はどうされたのですか。
多崎:広告代理店に入ったんですが、1年半くらいで辞めることになります。本当に忙しくて、家に帰るのに終電に乘れたらマシで、いつも深夜でした。なので小説を書くどころか考えている暇もないんですよね。このままでいったら私は壊れるなと思い、辞めようと思いました。その時です。はじめて真剣に小説家になろうと思ったのは。
23歳くらいの時だったのかな。バブルもはじけて新卒ですら雇ってもらえない状況でしたから、職歴があるわけじゃない自分がしばらく休職してどこかに再就職しようとしても、絶対に無理だって分かっていたんです。それに、自分がまたああいう組織に入っても同じことになるんじゃないかという恐怖がありました。中学生時代のブラスバンドの話じゃないですけれど、自分一人でできるものがしたいと思うようになり、じゃあなにができるのかと考えた時に、「よし、小説を頑張ろう」って。大学時代に投稿したことはあったんですがそれは運試しみたいな気持ちで、小説家になりたいと真剣に思っていたわけじゃなかったんですね。ちゃんと小説家になろうと思ったのはこの時がはじめてでした。
そこから投稿生活を17年間、延々と続けました。年に3回くらい応募して、当たっては砕けていました。過去の大賞受賞作を読んで自分に合いそうな賞に送ってはいましたが、傾向と対策はあまり考えず、自分の好きなものしか書いていなかったです。小説教室みたいなものがあることも知っていましたが、妙に意地っ張りなところがあって通いませんでした。いよいよ駄目だったら駈け込もうみたいな感じでした。教室に行って「こういうものを書いたらいいよ」と言われるのが嫌だったんですよね。わがままかもしれませんが、好きなものを書かなければ意味がないじゃないって気持ちがありました。今もそんな感じですけれど。
――好きなものというと、やっぱりSF的なものですか。
多崎:SF的なものが多かったですね。現代ものをベースにしていてもどこかにSF要素、近未来的な要素が入っているものが多かったと思います。
たぶん、いちばん数として多いのは、「X-ファイル」みたいな話というか。超常現象、たとえばどう考えても人間が起こせないような殺人事件があった時に、それを分類し保管するか抹消するのか決めている組織があって、その組織で働く人たちの物語を考えるのが好きで、しばらくその設定で書いていました。高校時代に書き上げた宝石の話もそうなんですけれど、わりと未知のテクノロジーみたいなものがあり、陰謀があってそれと戦う、みたいな話が多かったと思います。今思うとそれをライトノベルの賞に応募するのはどうなのかという。
――多崎さんといえばファンタジーですが、その頃ファンタジーは書いていなかったという。
多崎:当時は、見事なくらいファンタジーを読んでいなかったですよね...。実は、ファンタジーがあまり得意ではなかったんです。たとえば、なにかの魔法を使うためのエネルギーって、どこからくるんだろうって考えちゃうんですよ。この世の中の話である限りは絶対にエネルギー保存の法則が成り立たないといけないので、魔法を使うのってハイカロリーなはずだから、お腹がすごく減ったりしないのかな、ダイエットになるんじゃないかな、などと考えてしまう。ドラゴンが空を飛んでいるけれど、あれは航空力学的に無理だよな、とか。翼の大きさに対し質量がありすぎて絶対に飛べないだろうから、お腹の中に反重力作用のある石でも入っているのかなとか。火を吐くけれど、あれはどうなっているんだろう、奥歯が火打石のようになっていて体内で分泌した油を噴射して火をつけているのだとしたら、油の揮発性が相当高くないといけないし、引火したらキミ大爆発するぞ、とか考えちゃって(笑)。
もちろんドラゴンが空を飛んだっていいんですよ。そういうものが好きな人はたくさんいるし、ゲームだったら私もシステムとして素直に楽しめるんですけれど、小説となると、細かいところが引っかかってしまっていました。
――ファンタジーもいろいろですからね。たとえば上橋菜穂子さんのファンタジーとかだったら...。
多崎:上橋菜穂子さんは大好きです。上橋さんの本を読むようになったのは大人になってからですが、とても納得のいくファンタジーだったので夢中になりました。『精霊の守り人』シリーズも新刊を楽しみにしていました。その頃は本屋勤めだったので、児童書担当に「新刊が出るなら教えて」と頼んでおいて、「来月出るよ」と聞けば「1冊予約で!」という感じで。
――ああ、投稿生活を続けながらいろいろなお仕事もされていたんですよね。
多崎:いろんなアルバイトをしましたが、本にまつわるものが多かったですね。古本屋だったり、図書館だったり。でもいちばん長かったのは書店で、11年くらいいました。その途中でデビューしているんです。
――書店ではどの棚の担当だったのですか。
多崎:ゲームの攻略本とコミック担当でした。自分はあまりゲームをするほうではなかったんですが、人気のある攻略本は休み時間にパラパラとめくったりはしていました。
それと、やはり小説家になりたいと思っていたので、今流行っているものを知るためにコミックも、売れているもの、話題になっているものはとりあえず全部目を通そうとしていました。
――面白かったコミックって何ですか。
多崎:私はスクウェア・エニックスを担当していたんですけれど、『鋼の錬金術師』の第一巻が出た時に「これは絶対に面白い」と思いました。案の定売れたので「やっぱりな」と。あれは、等価交換という考え方にすごく納得がいきました。それと、少年画報社も担当していて、『HELLSING』が出た時に、これも「絶対に面白い」と思いましたね。
――その頃読んだ小説では何が面白かったですか。
多崎:いろいろありますが、引間徹さんの『塔の条件』は印象に残っています。父親に好きだった本をけなされたトラウマなのか、投稿を続けながらも自分が書いているものは幼稚なものだという意識がどっかしらにあったんですよね。でも『塔の条件』を読んで、他人に何を言われても、自分が信じた塔を建てていいんだと思えました。
他は、だいたい私が読んで感銘を受ける小説は、姉が情報元であることが多いんですよ。姉は大学卒業後図書館員になったので、やっぱり本に対する嗅覚がすごくて。私の癖も分かっているので大人になってからも姉が教えてくれていました。
なのでこれも姉がきっかけなんですが、「宮部みゆきさんは絶対に面白いから読んで」と言って、『火車』を渡されたんです。「ただし、翌日休みの日に読まないと後悔するよ。やめられないから」と言われたんですが、本当に面白くてやめられなくて徹夜しました。私は結構作家買いするので、そこから宮部さんの本は当時出ているもの全部読んだと思います。今でも大好きで、お手本だと思っています。
宮部さんの本を読んでいると、ページをめくっているという意識が飛ぶんですよね。それが正しい読書だろうと思うので、自分もかくありたいですね。
――お手本として、どういうことを意識していますか。
多崎:文体のリズムはすごくあるかなと思うんです。宮部さんの文章は引っかかるところがないんですよ。宮部さんと私はもう全然文体は違うんですけれど、私もわりとリズムを大切にします。書いていて、リズムをよくするために「ここであと2文字ほしい」などと考えることが多々あります。それで「それ」とか「あの」とかを使いすぎて、後から消すことになるんですけれど。
「SFベースでファンタジーを書く」
――投稿時代、どういう賞に送っていたのですか。
多崎:ライトノベル系の賞が多かったですね。さきほど話した父に関するトラウマからか、文芸の賞を狙おうという気持ちは全然なかったです。
――デビュー作の『煌夜祭』はファンタジー作品ですよね。島々をめぐって物語を集めた語り部たちが、冬至の夜に集まってその物語を語り継ぐ煌夜祭。その年語られるのは、人を食べる魔物をめぐる話で...という話で、意外な展開が待っています。ファンタジーを書いたきっかけはなんだったのでしょうか。
多崎:当時はファンタジー全盛だったんですよね。ファンタジー作品が賞を獲ることが多かったので、じゃあ自分も一回書いてみるかと思って。その頃、臓器移植を受けた人がドナーの記憶や嗜好性を受け継ぐという話にすごく興味があって、そのネタで何か書きたいなと考えていたんです。それで、人を食べたら、その人の記憶が入ってくる、という設定はファンタジーのネタとして面白いのではないか、というところから入りました。
――そこからだったとは。島々が円形に浮かんでいるという、あの世界設定については。
多崎:あれはボーアモデルが頭にありました。人間は国境があると戦争をしてしまうから、じゃあ戦争がないように誰かが人工的に島々を作ったとしたら......などと、地図を考えていたら面白くなってきて。原子模型のように、核があって、そのまわりを電子がまわっているイメージで島々を配置するということをやってみたかったんですよね。
最初はすごく長いクロニクルを考えたんですけれど、とてもじゃないけれど投稿作に収まらないんですよね。面白い要素だけを選び出して語りという形で繋げていけば全部入るかな、と考えました。わりと行き当たりばったりですよね(笑)。
――そうやって書きあげた『煌夜祭』が第2回C★NOVELS大賞の大賞を受賞して、デビューが決まったという。
多崎:受賞してびっくりしました。本当に本当にびっくりしました。当時はまだ書店で働いていたので、働きながら自分の本も売りました(笑)。
その後専業になったのは、働いていた本屋が潰れてしまったからなんです。デビューした時に編集さんに「仕事は辞めないでくださいね」と言われていたのでどうしようかと思い、編集さんにおうかがいを立てたんですよね。そうしたら、「いや、専業でもいいんじゃないですか」って言われました。なので、暮らしていけなかったらまた本屋でアルバイトすればいいや、くらいに考えて専業になったんですが、ありがたいことに今も専業でやっています。
――デビュー作がファンタジーだと、ファンタジー作家というイメージを持たれますよね。それはご自身ではどうだったのですか。
多崎:さあ困ったぞと思いました。2冊目に書かせてもらったのが『〈本の姫〉は謳う』という作品で、あれは二つの世界の話ですが片方はSFっぽくて、もう一方がファンタジーで。でもそのファンタジー要素にも全部、SF的な設定の裏打ちがあります。
――本を修繕する少年が、邪悪な存在とされる文字を回収するために〈本の姫〉と旅を続けているという物語ですよね。
多崎:「2001年宇宙の旅」のモノリスみたいなイメージですね。あれはモノリスが立っていることによって、猿から人間への進化が促されたという設定じゃないですか。あれと同じで、文字というものがあって、それが意思を持っていることにより進化が促されたという設定です。だからSFベースなんですよね。私はファンタジー的なものもSFベースで考えるというか、私の中ではファンタジーもSFも同じものみたいなところがあって......というと怒られるかもしれませんが。
でも、昔は許容範囲の広いSFもたくさんありましたよね。ジャック・フィニイの『ゲイルズバーグの春を愛す』なんて完璧にファンタジーだと思う。『レベル3』とか『マリオンの壁』とかも大好きでした。『ジョナサンと宇宙クジラ』を書いたロバート・F・ヤングもそうですよね。短篇の『たんぽぽ娘』なんて、すごくふんわりとしたSFですよね。ああいう、ファンタジーに近いようなSFが好きだったので、「ああいうのなら書ける」という感じで今までやってきた気がします。
――じゃあたとえば、万物に神が宿る世界が舞台の『八百万の神に問う』シリーズとかは、どういう発想だったのでしょう。
多崎:それもSFがベースにあります。彼らが神様と言っているのは、たぶん宇宙人なんですよ。思想を糧とする宇宙人が宇宙船でやってきて、共存共栄を図るために人間たちの思想を統一をしたら一回失敗しちゃって、それで新しく作り直したのが「楽土」だという。山の上に神の世界があるというのは、山の上に宇宙船があるからなんですよね。その磁場か何かの影響で、楽土に入れたり入れなかったりするという......。
「話題の新作ファンタジー」
――その後の読書生活はいかがですか。意識的にファンタジー作品を読んだりはされたのですか。
多崎:もとから上橋菜穂子さんは当然読んでいましたし、大人になってから「ハリー・ポッター」シリーズも全巻読み、児童書に戻って『ダレン・シャン』シリーズや『デルトラ・クエスト』や『ナルニア国物語』も読みました。ファンタジーとはなんぞやを学ぶ気持ちで。
ちょっと惜しいと感じたのが、やはり子供の時に読んでおきたかったと思うファンタジーが多いんですよね。子供も読めるマイルドなファンタジーだけじゃなく、大人が読んでも楽しいファンタジーがもっと増えればいいなと思います。
相変わらず、好きな小説は繰り返して読みます。全部を読み返さなくても、好きなシーンだけ読み返したくて本を引っ張り出したりしています。あとはやっぱり、人気の本は、どこが面白いのか読んでみたくなります。映画やドラマを観て面白かった時も、原作はどうだったんだろうと気になって読んだりもしますね。
――やはり映画など映像作品もお好きですか。
多崎:映画はよく観ます。本屋で働いている時は、水曜日だけ5時上がりにしてもらって、近くのシネコンの7時くらいの回の映画を観て帰っていました。こんなものを映画にしていいのかという駄作から、しばらく感動して座席から立てなくなるような作品まで観て、映画もピンキリだなって思っていました。
――どういう映画がお好きですか。好きな監督とかは。
多崎:映画館で観なきゃいけない映画ってあると思うんですよ。絵に迫力があったり、動きが素晴らしかったりして、自分が見たことのない世界を見せてくれる映画というのは大画面で観たいんですよね。だからやっぱり、SFなどは映画館で観たい。マーベル・ユニバース系の映画も必ず映画館で観たいですね。
好きな監督でいうと、クリストファー・ノーランは2作目の「メメント」ではまりました。実はリドリー・スコット監督も好き。ナイト・シャマラン監督も話の作り方がうまいですよね。いつも大逆転がいつ来るのかドキドキします。来るぞ来るぞと思っていると来なくて、「あ、来ないんだ」と気を許したとたんに来るっていう。ホラーは苦手なので、もう、本当に怖いです。あとは役者さんで観てたかな。
――誰ですか。
多崎:ホアキン・フェニックスですね。彼がコモドゥス帝を演じていた「グラディエーター」がすごく好きでした。主人公側ではなく、主人公を苦しめる悪役側なのにものすごく感情移入して、彼がかわいそうで泣くというひねくれた見方をしていました。すごく悪い奴ですけれど、父親の愛情がほしくてほしくて、それで狂ってしまったキャラなんだよなと思うと、いくらでも空想が膨らむというか。「ジョーカー」でブレイクしましたけれど、サイコパスから普通のおじさんまで、なんでもできる俳優ですよね。ナポレオン役で主演した「ナポレオン」が公開されたところなので、観に行かなきゃと思っています。
エイドリアン・ブロディも好きでした。あの人もサイコパスから気の弱いお兄ちゃん、イケメンなジゴロまでなんでもできるのがすごいなと思っています。
――1日のルーティンは決まっていますか。
多崎:私は書く時間より考える時間が割と長いんですね。資料を読み込んだりいろんな設定を考えている期間が長くて、そこから2か月くらいの間に集中して書きます。その2か月間は完璧な夜行性になります。夕食を食べて、片づけをして、お風呂入ったりして、夜の12時くらいから書き始め、朝の6時くらいに洗濯機を回して、干して、原稿が終わってなかったらまた書いて、だいたい朝の9時か10時くらいに寝る。それがいちばん仕事やしやすいルーティンです。
――夜中の間、ずっと書き続けているってことですよね。
多崎:「よくそんなに集中できますね」と言われるんですけれど、自分では「時間が足りない、もう4時間も経っちゃった」という感じです。
集中して書く時期でない時も、だいたい夜の12時から4時か5時くらいまで仕事をすることが多いですね。そこから寝て起きて、家のことをして、昼の12時過ぎから夕方ご飯を作る前くらいまでメールの返事を書いたり、資料を読んだりしています。時間的に余裕がある時は、夜12時くらいから読書して明け方までに読み終える感じなので、読書も夜型ですね。
――読書記録はつけていますか。
多崎:読んだ本の名前だけは書いています。感想は書きませんが、名前は残しておかないと同じ本を読んでしまうんですよ。「これ面白そう」って思ってページをめくって、「あれ、これ読んだな」ってことが多いので。
でもここ数年は驚くほど本を読んでいなくて。特に今年は、読んだ本を思い出せるくらい。つまり、数えられるほどしか読んでいないんです。インプットしないとアイディアが浮かばなくなるので何か読みたいんですけれど、本当に暇がなくて、読みたい本が山積みになっています。
――それはもう、大作『レーエンデ国物語』を執筆されていたからですよね。全五巻にわたる革命の話で、現在第三巻まで刊行されています。これはどういう構想から始まったのですか。
多崎:最初に編集者さんからお話をいただいた時に、国を興す話を書きたいなと思ったんですよ。
学生時代、「銀英伝」を読んだ時に、自分もああいう壮大な歴史を書きたくなったんですが、知識も筆力もまるでなくて全然書けなかったんですね。一度挫折して、その後ずっと書けなくて、それを今やらせてもらているので夢が叶ったと思っているところです。
さっきの『煌夜祭』の話ではないんですけれど、『レーエンデ国物語』も実は400年くらいの間の話なんですね。第一巻のユリアの話から国が独立を果たすまでにそれくらいかかるんですが、全部書いていると長くなりすぎる。美味しいところだけ書くことにして、一冊ごとに100年、120年と時が流れています。
――西ディコンセ大陸の聖イジョルニ帝国にある、呪われた土地とされるレーエンデが舞台です。琥珀色の古代樹の森があり、泡虫が飛ぶこの土地には、銀呪病という病がある。非常に美しい光景も頭に浮かびますが、どういう世界観、どういう歴史を考えていったのですか。
多崎:歴史に関しては、徹頭徹尾、革命を起こすために組み立てました。この土地の説明をして、その土地に住む人たちを好きになってもらうのが第一巻。その好きになってもらった土地を焼き尽くすのが第二巻。第三巻でその焼野原に芽が出て、第四巻でさらに育って、第五巻で革命がなされるというイメージで、その最初の構想通りに進んでいます。
――そう、第二巻『レーエンデ国物語 月と太陽』で焼野原になるんですよね...。第三巻の『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』でまた状況は変わるんですけれど。
多崎:圧政に人々が耐えかねて立ち上がってひっくり返すのが革命なので、早いところ一度焼野原にしておかないと駄目だろうっていう感じで...。
世界観については、なぜ銀呪病があるのかとか、ユリアが産んだ神の御子がどういう存在で、何をレーエンデにもらたしているのかというところがファンタジー要素なのですが、ちょっとSFがかった裏設定があります。
――やっぱりあるんですね、SF設定。
多崎:たぶん、かなりSF的な感じです。それをどこまで書くか分からないですけれど。
――第一巻でページをめくって西ディコンセ大陸の地図を見た時、もう、1000%の王道ファンタジーだと思ったのに(笑)。でもお話をうかがっているうちに、SFとファンタジーの違いってなんだろうと思えてきました。
多崎:SFよりも、もうちょっと幻想的で美しい光景を見せるのがファンタジーなのかな、と最近思うようになってきました。そう編集部に教育されました(笑)。
――聖イジョルニ帝国は多民族国家で、それぞれの生活や特徴などもいろいろです。ものすごく細かく設定されている印象でした。
多崎:民族がひとつだとまとまりすぎてしまうので最初から多民族にしようとは考えていました。多民族であるがゆえに最初の革命はうまくいかないわけです。ということはそれぞれ文化が違うはず。それで、どの民族にどういう歴史があって、どういうふうに暮らしてきてどう文化になったかを考えていきました。
大枠を決めておくと、だいたい決まるんですよ。例えばレーエンデはすごく寒いところにある土地なので、水田は作れないんですよね。そうすると麦を食べるしかなくて、パン食になるだろうな、といったところから食べ物は決まっていきます。土地があれば酪農もできるけれど、森の中で暮らしている人は大型獣が飼えないから、せいぜい山羊で、それも大量には飼えないから狩猟民族になりますよね。森で手に入るもので作らないといけないから衣服もわりと植物由来のゴワゴワしたものが多くて、あとは毛皮とかになるんだろうな、と考えていくんです。最初に細かく決めておくわけではなくて、必要になったら考えるという感じです。
――巻を追うごとに、読者に見える風景もすごく変わっていきますよね。森の中の景色だったり、断崖絶壁だったり、焼野原だったり。街では鉄道ができたりもする。そうした変化もすごく面白いです。
多崎:やっぱり時代が進んでいくと文明が変わって、書ける話も変わってくるんですよね。それが面白いかなと思って。
――第四巻『レーエンデ国物語 夜明け前』はいつ読めるんでしょうか。
多崎:なるべく早く、とは思うんですけれど。間違いなく来年には出ます。
――今はその執筆と改稿で大変だとは思いますが、そんななか、『煌夜祭』の新装版が単行本で刊行されましたね。
多崎:最初に出たのがC★NOVELS Fantasiaで、次に中公文庫にされる時にほとんど直さなかったんですよね。その時点でもう結構月日が経っていたので、今からデビュー作に手を入れるのは恥ずかしい気がして、誤字とか言葉の間違いくらいしかチェックしなかったんです。でも今回は、単行本で読んでもらうのにこれは駄目だろうというところに赤を入れていたら本当に真っ赤になっちゃって。「赤を入れないと言っていたのに真っ赤にしてごめんなさい」って編集者に伝えたら、「多崎さんにしてはマイルドです」と言われました。前に『夢の上』という単行本を文庫化した時(文庫のタイトルは『夢の上 夜を統べる王と六つの輝晶』)、本当に一面真っ赤になるくらい改稿したという前科があったので...。
1月に『〈本の姫〉は謳う』も新装版が講談社から出ますが、これはちょっと改稿するだけで大丈夫だと思っています(笑)。