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一穂ミチさん「ツミデミック」インタビュー コロナ禍の犯罪描いた短編集「あの3年間を書いておいてよかった」

初沢亜利『東京二〇二〇、二〇二一。』(徳間書店)より。※写真はイメージです

あの不安を書かざるを得なかった

――今作はコロナ禍を背景とした短篇集。給付金詐欺やフードデリバリーサービスなどパンデミック以降のトピックスが織り込まれています。なぜこのテーマを選ばれたのでしょうか。

 最初からそう狙っていたわけではなく、「小説宝石」から依頼されたのが2021年でパンデミック真っ只中だったんですよね。当時は私自身、この先どうなるんだろうという不安がすごく強くて、この状況を書かざるを得なかったんです。「小説宝石」は毎号お題があるのですが、最初のお題は「繁華街エレジー」。「繁華街」と聞いたら緊急事態宣言で大変だった飲食店のことがどうしても浮かんで、コロナ禍の前夜譚、もう少しで灯りが消えてしまう繁華街を舞台にし、居酒屋の客引きバイトをする男の子が出てくる「違う羽の鳥」を書きました。

――「違う羽の鳥」は「小説宝石」2021年11月号掲載で、そこから2023年7月号掲載の「さざなみドライブ」まで当時の掲載順に収録されていますね。「違う羽の鳥」はホラーの雰囲気もあるサスペンス、「さざなみドライブ」は初対面でドライブすることになった人々の群像劇と、パンデミックが終息に向かうにつれ、作品も明るくなっていくように感じます。

 当時の私の心理状況も影響しているのでしょうね。最初の2本「違う羽の鳥」と「ロマンス☆」は結末をあまり決めずに書いたらずいぶんダークな読み味の話になって(笑)。3本目の「憐光」から意識的に色調を明るくしました。その頃にはワクチン接種も広がって、感染の波を繰り返しながらもコロナと共存していく社会になりつつありました。

 同じく短篇集の「スモールワールズ」を書いたとき、一番褒めていただいたのが「魔王の帰還」だったんです。「魔王の帰還」はあの中では明るくポップな話で、私自身もするするっと楽しんで書けたんですね。短篇集はアソートみたいなもの。いろんな味を詰め合わせるようにしています。

犯罪者でないのはただの偶然

――この短篇集のもう一つのテーマが「罪」。専業主婦やフリーターなど普通のまじめな人々がふとした弾みに犯罪者になるお話に、ドキッとしました。

 もともと私は、自分がなんの犯罪にも手を染めずに生きているのはただの偶然じゃないかって思っているんです。犯罪する人、しない人っていうのは本当に微妙なグラデーションで、「こんなはずじゃなかったのに、あれ?」って人が多いんじゃないかなって。

――コロナ禍による困窮もその背景に描かれていますね。

 パンデミックという大きな影に押されて気づけばくらがりの中にいた、という人はいると思います。先日も日経平均株価が最高値を記録したというニュースがありましたが、普通に暮らしている人の大半は「なんで?」っていう感想じゃないでしょうか。あの時、報道されたのは飲食店が困窮するニュースが多かったですけど、もちろんそれぞれの家庭でもゆとりが奪われて、それが今も続いている人が多いと感じます。

――「ロマンス☆」では美容師の夫・雄大に当たり散らされる妻・百合が主人公。入浴する夫が「出るまで洗い物中断な、シャワーの水流弱くなるとイラつくから」と言われて、シンクの前で拳を握る百合の描写がもうリアルでリアルで……百合と一緒に拳を握ってました。

 ありがとうございます。あれは実家暮らししていたとき、自分が感じていたことを入れました。もちろん私は家族に「洗い物やめろ」とか言わないですよ(笑)。他人と暮らしているとこまごましたストレスはあるもの。それがパンデミックで外出もままならないと、些細なストレスも膨れ上がって増幅して反発して……っていうことはどのご家庭でもあったんじゃないかな。普段だったら百合だって流すか言い返すかできたんでしょうけど、ああいう非常事態で関係の非対称性があらわになって、稼いでる夫に何も言えなくなっちゃった。コロナ離婚という言葉も流行りましたもんね。

初沢亜利『東京、コロナ禍。』(柏書房)より

ネタ集めは新聞とメモ機能で

――パンデミックだけでなく、ソシャゲ課金、子ども用ハーネスの是非、特別縁故者の問題などなど、小さなところまで「今」が書き込まれていますが、どのようにネタ集めしていますか。

 好書好日さんだから言うわけではないんですが、新聞から拾うことが多い。やっぱりネットニュースだと、自分の興味のある分野しかクリックしないんですよ。新聞を開いたら、「国際政治」とか興味のない分野でも見出しと前文は読むようにしています。ネタ集めもそうですが、頭の体操にもなっています。

 あとは、LINEの「Keepメモ」っていう自分限定のタイムラインのような機能があるんですが、そこに気になったニュースのアドレスを貼ったりしています。時々見返して、そこから取り入れることも多いですね。「あれ、これなんでメモしたんだっけ?」ってこともままあるんですけど(笑)。

――今回も実母から迫害される娘の話がいくつか出てきます。以前、『光のとこにいてね』のインタビューで「女の子の物語を書くと、どうしても母親に物語の比重を置きます。」と答えていましたが、母と娘の関係がそのほかの関係より難しくなってしまうのはなぜだと感じていますか。

 私自身も、母親に向ける感情の複雑さは、父親に向けるそれとはちょっと違う。近すぎるからこそ、尊敬する部分もあれば、勝手に幻滅しちゃう部分もあって、どうしても「自分だったらもっとこうするのに」と想像してしまうんだと思います。

 私には子どもがいませんが、ちょくちょく、母が私を産んだ年齢のことを考えるんです。今の自分の年齢で、お母さんは中学生の子どもを育ててたのか、そりゃやばいなって。自分の血を分けた、しかも同性の娘だったら、何かを託したいと思ったり、何かから徹底的に遠ざけたいと思ったりするのは無理なからぬ感情だなって。

一穂ミチさん近影=光文社提供

創作物の役割、私が諦めるわけには

――「祝福の歌」ではウクライナの戦争が出てきます。今ではガザでも戦争がはじまり、暗いニュースが続いています。そんななかで小説家・一穂ミチとしての役割をどう感じていますか。

 とても難しい質問です。小説でお腹は膨れないですからね。ある程度社会が安定していて個人の間にも余裕がないと、表現を受け入れる下地が整わない。一方、自分が若く、お金がなかった頃、「じゃあお昼ごはん我慢してこの本買うか」というときもあったり……。一つ言えるのは、「創作物が希望」というよりは、「創作物を受け取ってくれるだれかがいることが希望」なのかなって思います。

 昔読んだ「夜と霧」を思い出しました。ヴィクトール・フランクルというユダヤ人精神科医によるアウシュビッツ強制収容所の体験記なのですが、一番覚えているのが、そんな極限状態に置かれながらも夕陽を見て「世界はどうしてこんなにきれいなんだろう」と感動するところ。自分に何ができるのかはわかりませんが、創作物の果たす役割というのを、私が最初から全部諦めるわけにはいかないなって思います。

――最後に収録された「さざなみドライブ」では、小説家に登場人物の一人が小説をリクエストします。一穂さんはこの社会へどんな小説を届けたいと考えていますか。

 小説を書くとき、十年後、二十年後に残るということはあまり想定していません。今のこの社会を生きる、今の私が、偶然にも同じように今を生きているひとへ向けて書いています。今回の短篇集のゲラをチェックしていて、すでにあの頃の記憶が薄れかかっていることに驚きました。もちろんおばあちゃんになっても覚えている大きな出来事だったのですが、あのときの不安とか閉塞感とか、幻だったような気がして。知ってました? 今年もうパリオリンピックが開催されるんですよ! 信じられないですよね……。あの頃はとにかく感染が落ち着いて月日が経つのを願っていたから、こんなに空白なんでしょうか。私にとって小説は、それを書いたときの自分の記録でもあります。あの3年間を書いておいてよかったなって思います。

――いつも「今」を書いてきた一穂さん。今後、書きたいテーマは。

 なにがとは決まっていませんが、がっつり社会的なものを書いてみたいです。今の私が、今だから書けるものを。