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小さな安らぎ 千早茜

 去年の暮れ、小さな家族が増えた。夫の実家から齢(よわい)十になる猫がやってきたのだ。人間の歳(とし)に換算したら私より年上であるし、知らない場所の知らない人間になど簡単に懐くまいと覚悟していたが、小さな家族は三日ほどで私の膝(ひざ)にのるようになった。喉(のど)も鳴らす。どうしてそんなに早く警戒を解くのか、そんなに簡単に人間を信じるものではない、とこちらが狼狽(うろた)えたほどだった。

 小さな家族は私たちと暮らすようになってからよく鳴くようになったと夫は言う。膝にのりたいときに「アー」、ごはんやおやつが欲しいときも「アー」、立派な糞(ふん)をするときは「アオーン」と雄叫(おたけ)びをあげる。笑ってしまう。笑われても、小さな家族はふてくされない。一緒に笑いもしない。私たちが自分を見ていると気づき「アー」と撫でを要求する。

 新年からつらいニュースが続いた。大きな地震が能登半島を襲い、飛行機が燃え、海を越えた中東では空爆や殺戮(さつりく)がやまない。先日は、新刊がでるたびにすぐさま買っていた漫画の作者が連載半ばで命を絶ってしまった。大好きな作品のラストは永遠に失われてしまった。物語をつくる身としてあまりにやり切れない結末に、悔しさと悲しさが込みあげてどう気持ちの整理をつけたらいいかわからなくなった。夫に漫画のあらすじを語るたび、丁寧に描かれた登場人物たちの表情を思いだすたび、涙がこぼれた。

 小さな家族は私が泣いていても、膝や撫でを要求し、猫トイレで「アオーン」と雄叫びをあげる。やはり、泣きながら笑ってしまう。小さな家族は、よく食べ、よく眠り、のびのびと暮らしている(ように見える)。故郷で地震がおきても、飼い主が悲嘆に暮れても、人と人が殺しあっても、ただひたすら己の生を優先するだろう。人間は、そうではいけない。言葉を持つ我々は起きた悲劇を知り、なかったことにしないよう伝えていく必要がある。けれど、小さな家族の、なににも関与しない姿は小さな安らぎをくれるのだ。=朝日新聞2024年2月7日掲載