カナダ・トロントの街の一角にある銀行に、ある日突然、強盗がやってきて、拳銃を天井に向け1発放ちます。10人の客と、副支店長、2人の窓口係に対し、強盗はこう告げます。
「あなたがたにはそれぞれひとつ、なにかを差し出していただきたい。今お持ちのものの中で、もっとも思い入れのあるものを」
強盗は、お金を盗むのではなく、「思い入れのあるもの」を奪うのだと言います。なんとも奇妙な宣言の後に、強盗はこんな言葉も付け足すのです。
「私は、あなたがたの魂の51%を手に、ここを立ち去ってゆきます。そのせいであなたがたの人生には、一風おかしな、不可思議なできごとが起こることになるでしょう」
その言葉の通り、奇妙な出来事が、その場に居合わせた13人の身に起こり始めます。身長が日を追うごとに縮んでいく人。心臓が爆弾になる人。母親が98人に分裂する人。夫が雪だるまに変身してしまう人……。
こんな奇想天外な物語が、この4月に舞台化されることになり、花總まりさんとW主演することが決まりました。僕が演じる役は、花總さん演じる、だんだん身長の縮む妻・ステイシーの夫です。「だんだん身長が縮む」様子を、いったい舞台でどう表現していくのか。まだ想像がつきません。
その日、客として銀行にいた妻・ステイシーが銀行強盗に差し出したのは、自分が大切にしていた「電卓」です。ステイシーは高校2年生の時、デイビッドと席が隣同士でした。「電卓」には、一緒に微分積分の計算のために使ったなど、数々の思い出がこもっています。その後、二人が互いを好きになって、結婚してからも、人生設計における計算のすべてを、妻・ステイシーはその「電卓」でしてきました。
出演が決まってから、この本を読み返していくうち、それぞれの登場人物が抱える悩みが比喩として落とし込まれているのではないか、と感じるようになりました。あり得ないようなこと、あまりに奇想天外な出来事――たとえばタトゥーとして身体に入れていたライオンが飛び出し、襲われそうになる、あるいは、昔の恋人に心臓をつかみ出されてしまう――、それは「自分自身の自信のなさ」との向き合い方だったり、「断ち切れない未練」だったり、何かしら内面の葛藤がこもっているように思えます。これはファンタジーではないのかも……。僕たち読者一人ひとりが抱えている、何かしらの悩み、戸惑いが、物語の中に投影されている気がしてくるのです。
物語は、デイビッドのモノローグで語られます。つまり、デイビッドの主観で、彼の目を通して進んでいきます。誰の主観で語られるのか、それがじつは大きなポイントだと僕は思います。
デイビッドの妻・ステイシーは、仕事ができて、聡明で、仕事を好きだった人だったと思います。彼女にとって「電卓」は、ずっと使っていた大事なものであり、仕事やキャリアの象徴として描かれていると感じるからです。でも、今、ステイシーは家庭に入り、対話する相手は子どもだけ。自らのキャリアを諦め、家に閉じこもっています。夫・デイビッドは、妻や家庭に理解があるようでいて、じつはそうでもありません。妻の話にうんざりしたり、会話の最後には感情的になってしまったりする面があるのです。
象徴的な場面があります。夫婦2人でカウンセリングを受けるシーンで、最初は、お互いの不平不満をぶつけ合うのですが、しだいに夫はじっと黙り込み、妻が何を言い続けても殻を閉じてしまいます。沈黙は「他者の拒絶」と同義です。暴言を吐くよりもむしろ、たちの悪いフェーズに入っています。「何とかお互いの妥協点を見つけよう」とはならず、夫は自身の主張ばかりで、それが相手に受け入れられないと、黙りこんでしまう。そんな行為・態度こそが、妻を「縮ませて」しまっているのではないでしょうか。
僕自身、読みながら自分の夫婦関係について深く考え直すことにもなりました。夫婦として、もしくは一人の人間同士として、わかり合えるために、大切なことは何だろう……。
「正しいアドバイス」であっても、言い方によっては相手を傷つけてしまうことだってあります。正解って、人それぞれ違いますから。つい「こうだよ、こっちが正しいよ」って言いがちですが、相手は「正しいか、正しくないか」ではなく、自分が感じることや、思いを相手と共有したいものです。
たとえば、相手が「今日はちょっと元気が出ないから、栄養ドリンクを飲もうかな」と言ったとします。そんな時、僕は何気なしに「あんまりドリンク剤を頼りにし過ぎない方が良いよ」と返事してしまう。それは「ドリンク剤の効き目が薄れた時に、疲労感が強く出てしまうから」という理由で、「頼りにし過ぎないで」と答えるのですが、そこまで丁寧に言及せず、ただ条件反射的に「頼りにし過ぎないで」とだけ答えてしまったら――。相手の方からすれば、やんわり否定されたような気持ちになってしまいかねません。投げかけた言葉に対し、相手がどう思うのか、その想像力をたえず持ち続けなければ、と肝に銘じました。
物語の中では、登場人物一人ひとりの精神がどんな状態に置かれているか、それを表わす比喩と、起きている現状を克服していく過程が群像劇として語られていきます。自身に彫ったタトゥーのライオンと戦う人は、自己不信に打ち克つことがテーマのようです。天井から「祖先の負の歴史」の塊が落ちてきて下敷きになってしまう人は、幸運に恵まれなかった祖先たちの歴史に打ちのめされつつも、それでも這い出ようと自らを奮い立たせていくことを描いているようです。いっぽう、克服できずに命を落としてしまう人もいます。やるせない結果に終わってしまうケースもあり、そこに運命の妙なリアリティーを感じたりもします。
とにかく、一見すると風変りな物語です。大人の絵本、といった印象を抱く人がいるかも知れません。それでも、読む人にとっては、何かしら、自分の抱えている問題を投影しやすい部分が、どこかに隠れています。それにしても、いったいどんな舞台になるのでしょうか。今からワクワクしています。
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(構成・加賀直樹)