【谷原店長のオススメ】岩波友紀「Blue Persimmons」 原発事故後の福島、ありのままの光景に向き合う

2011年3月11日、午後2時46分。都内のスタジオで遅い昼食をとっていた瞬間、激しい揺れに見舞われました。目の前の鏡台が倒れそうになるのを必死に支えたのを覚えています。それから少し経ち、テレビモニターに映る津波の映像に、ただ言葉を失いました。そして福島第一原発事故の発生……。
東日本大震災は、亡くなった方が1万5900人、行方の分からない方が2520人(警察庁、2025年3月7日発表)。日本の転換点となった、あの未曾有の大災禍の発生から、14年が経ちました。「発生から」とわざわざ記したのは、今もなお傷跡に苦しむ方々が大勢いらっしゃるからです。
今回ご紹介する写真集『Blue Persimmons』は、あの日から始まった、福島の人々の苛酷な現実、断絶、絶望、諦観、そんななかで逞(たくま)しく生きる人々が、残酷なほどにありのままの姿が写真に収められています。放射能、帰還困難区域、目には見えないけれども確実に存在する壁について、思いをはせずにはいられません。
撮影にあたったフォトグラファー岩波友紀さんは、読売新聞社の写真記者として、報道写真に携わってきました。震災を機に会社を辞め、千歳桜で知られる福島県会津美里町に移り住み、福島の今を撮り続ける日々を送っています。信州生まれの岩波さんが、縁もゆかりもなかった福島に寄り添い、生き方そのものまで変えていく。写真集の巻末に添えられた彼の文章では、福島の現実を直視し、自分と家族が生きていく意味を問い続けています。その姿勢に、頭が下がります。
写真集に出合ったのは、発売をめぐり出版費用の一部を支援する「クラウドファンディング」が行われていたのを目にし、わずかながら支援したいと思ったのがきっかけでした。タイトルにある英語「パーシモン」は、日本語では「柿」。写真集には、福島産の熟れた柿が、出荷されることなく無造作に白い雪の上に捨て置かれた一枚があります。そしてページをめくると、今度はもう一つの単語「ブルー」を表わすものたちの写真。
僕自身、震災の年の夏、友人に誘われ被災地に向かいました。大したことをしたわけではなく、岩手県大船渡市にある友人の親類の家に行って、ごみ処理を手伝ったり、公民館で被災者の方々にお菓子を配ったり。当時の旅で印象に強く残っているのは、宮城県女川町を訪れたときのことです。住宅や商店の建物が津波に流され、基礎だけが残るなかを、電柱だけが立ち並び、誰もいない道を、東北電力女川原発のバスだけが通っていく光景でした。
何年か経ち、再び訪れた時、女川はきれいに復興していました。昔ながらの味わいのあった風景はすっかり変貌し、町外からの移住者も増えたといいます。町が綺麗に建て直されるのはもちろん喜ばしいことです。ただ、あの日怒ったことの風化だけはさせたくないと強く思います。
先輩の俳優・唐沢寿明さんが主催する、クラシックカーで被災地をまわるラリーのイベントに、毎年のように僕も参加しています。女川のほか、震災遺構となった石巻市立大川小学校などに向かっています。多くの子どもたちが命を落とした大川小では、花を手向け、地元の皆さんとお話をしています。このラリーイベントは以前、唐沢さんが、地元の方から「震災が終わったことのように風化し、誰も訪ねて来なくなった。寂しい」と言われ、「それなら1年に1回まわろう!」ということで始まりました。2024年は諸般の事情で開催を見送りましたが、また行きたい、語り合いたいと思っています。
福島の被害は、苛烈です。写真集の中に収められている光景は、美しく牧歌的で、それでいて、見えない放射性物質の存在感が確実にあり、そこはかとない恐ろしさを感じます。ある写真では、被災して見つかった方の場所を示しているのでしょうか、十字架が並ぶ光景が広がっています。
幼稚園か保育園で撮影した一枚には、ホワイトボードに「3がつ11にち、しゅうりょうしきまであと5にち、たんぽぽ組さんと一緒にたくさん走ってあそびました」と書かれているのを撮影したものも。お迎えに来る保護者に伝えたかったメッセージなのでしょう、胸が詰まります。別のページには、黄色い保育園バッグが無造作に積み重ねられた一枚も。岩波さんがこの写真を撮影したのは2015年。この保育園、双葉町の「まどか保育園」は、原発から約5キロの場所にありました。園児たちは全員無事だったそうですが、少なくとも2015年の撮影当時、まどか保育園の時は止まったままです。
福島では、原発事故で汚染された表土をはぎ取るなどした「除染」で出た土(除染土)を保管しています。それこそがタイトルでもある青い柿。事故を起こした原発でつくられた電気は、首都圏に送られていました。首都圏に住む僕たちが、僕たちの生活を維持するためにつくられた原発によって、結果、そこに暮らせなくなった人がいる。除染土の処理はひとごとではありません。
写真を見ると、その地域だけ、いわば自然に飲み込まれるように「野生化」しているのが見て取れます。2015年、浪江町で撮られた写真では、赤く灯(とも)った信号の光が、雨に濡れた道路に反射し、人っ子一人いない真ん中を、イノシシが我が物顔で闊歩しています。でも、信号の電気は灯っている。そこに写るイノシシ。言いようのない理不尽さや、矛盾に満ちた光景です。
人のいなくなった町で、動植物が跋扈(ばっこ)し、道も住宅も駅のホームもみな塞(ふさ)がれ浸食されていく。放射性物質によって町は分断され、そして自然によって物理的に破壊され、築き上げてきたものが失われていく、その無残たるや。
それでも、いっぽうで、まっすぐなまなざしをレンズに向ける農家の方々や若者たちの姿が、一冊のなかに何枚も写し取られていて、福島の人々の強さも感じます。この福島で再び、一つひとつ、一所懸命、人生に向き合う。そんな意志が伝わり、目頭が熱くなります。僕も、できることから支援していきたい。忘れてはいけないと思います。
政府の「エネルギー基本計画」が発表され、「原発回帰」の流れに変わろうとしています。原発に対する拒否反応も十分に理解できます。いっぽう、増え続ける電力需要や、ウクライナ危機など経済安全保障が懸念される今、エネルギーの安定確保も喫緊の課題です。幅広く議論をしていけたらと思います。
同じく岩波さんのZINE『NIGHT FOREST 夜の森』(オフィシャルオンラインで販売中)は、町全域が避難区域となった福島県富岡町の桜の名所「夜の森地区」を撮った写真集。ここから先は行けない、その向こうに咲き誇る桜。たとえ見る人がいなくても、桜は咲き、命はつながる。写る人たちの思いを感じる一冊です。
それからもう一冊、福島県二本松市の「福島しあわせ運べるように合唱団」の子どもたちがまとめた『震災学習コーディネートマップ』も、もし手に取る機会がありましたら。震災時に起きた問題や、サバイバルの方法について、フィールドワークで調べた内容をまとめたのだそうです。僕が司会を務めるNHK「うたコン」に彼らが出演した時、プレゼントしてくれました。阪神淡路大震災を機に神戸でつくられた合唱曲「しあわせを運べるように」を、「3.11」を経験した福島県民が全国へと歌いつなぐ。そんな活動もまた、震災の風化を防ぐきっかけになっていくと思います。(構成・加賀直樹)