1. HOME
  2. コラム
  3. 旅する文学
  4. 熊本編 火の国、水の国、そして石の国 文芸評論家・斎藤美奈子

熊本編 火の国、水の国、そして石の国 文芸評論家・斎藤美奈子

地震から復興した通潤橋の放水を見る見物客ら=2022年、熊本県山都町

 1896(明治29)年から4年間夏目漱石は旧制五高(現熊本大学)で英語を教えていた。〈智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される〉の名言で知られる『草枕』(1914年/新潮文庫など)は熊本県が舞台である。時は春。画工の「余」は山あいの那古井(なこい)温泉(モデルは玉名市の小天〈おあま〉温泉)を訪れるが、俳句はできても絵は描けず、宿の娘の那美さん(今風にいえばバツイチの不思議ちゃん)にいじられて……。

 温泉もだが、噴煙を上げる阿蘇山あり、風光明媚(めいび)な天草諸島あり、火の国とも水の国とも呼ばれる熊本県には観光名所がいっぱいだ。漱石は『二百十日』(1907年)で阿蘇登山を描き、与謝野鉄幹ら5人の詩人は県内の景勝地をめぐる旅の記録を『五足の靴』(1907年)で残した。だが半面、熊本は噴火や地震や豪雨や公害など、幾多の災害や悲劇にも見舞われてきた。

     *

 石牟礼道子『椿(つばき)の海の記』(1976年/河出文庫)は水俣病に取材した代表作『苦海浄土』(1969年)のいわば前史で、自身が育った昭和初期の水俣を描いている。視点人物は4歳の「みっちん」。〈こん子はまあ、どけ、往(い)たとったろうかい、日の昏(く)れてしまうまで〉。そんな子どもだが、祖父が破産し、心を病んだ祖母、祖父の妻妾(さいしょう)まで加えた大家族は町はずれのボロ家に移転する。自然の恵みも人の営みもじっと見ている幼女の目。水銀で海が汚染される前の水俣の姿である。

 石牟礼道子の祖父は石工の棟梁(とうりょう)、父も石工だった。国宝になった通潤橋(つうじゅんきょう)(山都〈やまと〉町)、重要文化財の霊台橋(れいだいきょう)(美里町)、熊本城の壮麗な石垣。熊本はじつは石の国でもある。

 今西祐行(すけゆき)『肥後の石工』(1965年/岩波少年文庫)は種山村(現八代市東陽町)の石工集団を題材にした有名な児童文学作品だ。江戸後期、石工頭の岩永三五郎は薩摩藩で戦のための橋をかけた苦い過去を持っていた。だから〈こんどは人をわたす橋、岸と岸をつなぐ橋ばかけたいとおもうとります〉。そして巣立った多くの弟子。あくまでフィクションとして読むべき作品だが、災害から何度も復活した橋の秘密がわかる土木小説。おかげで私は熊本の石橋めぐりをはじめてしまった。

 一転、坂口恭平『徘徊(はいかい)タクシー』(2014年/新潮文庫)の舞台は現代の熊本市である。祖父危篤の報で東京から戻った「僕」。家族は90歳近い曽祖母トキヲの徘徊に悩んでいたが、ドライブに連れ出した際、トキヲは「ヤマグチ」といった。昔住んだ山口県に来たと思ったらしい。かくて彼は認知症の人を記憶の中の場所に案内するタクシーのサービスを思いつく。〈熊本から山口まで二五〇キロはある。そこをばあちゃんはひとっ飛びした〉〈人間も飛行機と同じ機械なんだよ〉

 熊本では実際、異次元によく人が飛ぶのだ。梶尾真治『黄泉(よみ)がえり』(2000年/新潮文庫)では熊本市とその周辺で死者が次々に復活する。行政は慌てるが、死亡届取り消し申請が続き「おくやみ」ならぬ「よみがえり」欄ができ、徐々にみんな慣れてきた。だが復活組の1人である中岡は予言する。自分たちは3月の大地震でこの世から消える、と。2016年の熊本地震を(震源地まで)予知した書!? 読者を騒然とさせた傑作SF小説である。

     *

 最後は天草。ここには今、イルカのデザインのプロペラ機が就航し、観光客を楽しませている。経緯は黒木亮『島のエアライン』(2018年/毎日文庫)に詳しい。とはいえ昔、ここは悲劇の島だった。

 島原・天草一揆系の作品には名著が多い。伊東潤『デウスの城』(2023年/実業之日本社)はその列に連なる最新の時代小説だ。

 キリシタン大名小西行長の家臣だった3人の若者。関ケ原の戦に敗れて主を失った後、宇土城下で育った幼なじみの3人は別々の道を歩む。イルマン(助祭)として布教に励む彦九郎。加藤清正に仕官し、キリシタン狩りの先頭に立つ佐平次。禅僧となり形だけでも棄教しろと説いて回る善大夫。15歳だった3人が50歳を超えた頃、一揆が起こる。作中の宗教問答も天草四郎の人物像もスリリング。彼らも最後は天に昇る。現代的な解釈の快著である。=朝日新聞2024年3月2日掲載