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「化学の授業をはじめます。」書評 「らしさ」曲げず運命拓いた女性

評者: 山内マリコ / 朝⽇新聞掲載:2024年03月23日
化学の授業をはじめます。 著者: 出版社:文藝春秋 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784163917979
発売⽇: 2024/01/16
サイズ: 19cm/535p

「化学の授業をはじめます。」 [著]ボニー・ガルマス

 アメリカの人気料理番組〈午後六時に夕食を〉。出演者のエリザベス・ゾットは化学者という変わり種だ。笑顔はなし。真剣な表情で「料理は化学です」と言い切り、容赦なく専門用語を使ってなぜケーキが膨らむかを解説する。その姿に全米の主婦が熱狂した。
 エリザベスはいかにしてテレビスターになったか?というストーリー。
 時は一九五〇年代へ遡(さかのぼ)る。言うまでもなくそれは、世界中が凶悪なほど女性差別的だった時代。しかも舞台は化学研究所だ。
 ずば抜けて優秀な理系の頭脳を持つ彼女を、次々困難が襲う。担当教授の性加害によって博士課程から追い出されたせいで、学歴は修士号止まり。なんとか勤め口を見つけた研究所では秘書と間違われ、同僚から徹底的に軽んじられる。しかしそこでキャルヴィンと出会った。ノーベル賞を嘱望されるスター研究者だ。やがて二人はソウルメイトのような絆を結ぶ。結婚しないまま郊外で同居生活をはじめ、大型犬を飼い、幸せに暮らしましたとさ。
 ところがこの幸福は一瞬で終わる。そして本当の物語がはじまるのだ。
 フィクションだが、あちらこちらに“誰か”が宿る。料理番組でスターになったあの人やこの人。男に論文を盗用された女性研究者。「内助の功」役に回ったノーベル賞受賞者の妻たち。才能を発揮できずに終わった、無数の女性たちへの鎮魂歌のように思える。その曲調は意外にも飄々(ひょうひょう)として明るく、アップテンポ。
 教養小説(ビルドゥングスロマン)は青年の成長を描くものと相場が決まっているが、ある種の女性を主人公とした物語は、その真逆を行く。彼女たちはなにも変わらない。ただ彼女らしさを曲げず、己を貫くことで運命を切り拓(ひら)く。そして周囲の人々をも揺り動かし、変えるのだ。
 料理番組の皮をかぶった化学の授業。いやいや、生き方のレッスンである。ちなみに配信ドラマ版も、引けを取らない傑作。
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Bonnie Garmus  米国の作家。1957年生まれ。コピーライターを経て小説の書き方を学び、本作でデビュー。