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ギュスターヴ・ル・ボン「群衆心理」 断言と反覆が導く時代認識

 アラブの春から欧米でのオキュパイ運動、さらに安保法制反対デモ、アメリカ議会占拠、現下のガザ侵攻反対デモまで、21世紀に入って街頭は多くの群衆によって埋め尽くされるようになった。この群衆の時代は「社会の古い支柱が交互に崩壊」した19世紀末にもあった。その原因を人々の心理に求めたのがこの本だ。

 有象無象の人々からなる集団は、「大衆」や「マルチチュード」など様々に呼称されてきた。ル・ボンが描く集団は徹頭徹尾、無思考な存在だ。曰(いわ)く、人々が群がる時、彼らは相互に「感染」し、感情と無意識によって支配される。群衆を動かすのは事実ではなく、それがどう知覚されるかであって、いかなる理性も通用しない。今風に言えば同調圧力の塊と化すからだ。だから、こうした群衆は、英雄的にも、犯罪的にも行動するばかりか、指導者の威厳にも従順に従うことになる。断言と反覆こそが群衆を導く手立てとなる。ムッソリーニやヒトラーのみならず、ローズヴェルトやドゴールといった政治家までもが座右の書としたというのも頷(うなず)ける。

 社会心理学や社会運動論ではほぼ漏れなく参照される本だが、多才なル・ボンが独学の人であったこととも関係するだろう、断言調のわかりやすい比喩や事例、人種概念の多用、矛盾した記述などは、同時代の知識人だったデュルケームやフロイトなどと比べても、幼稚かつ稚拙に過ぎる。断言と反覆の技を身に付けたのは、他でもない著者だった。しかし、だからこそ、出版当時にもベストセラーとして迎えられたのだろう。群衆の力を恐れるエリートのみならず、群衆を嗤(わら)う人々にも支持されたのだ。「下層民が、主権者となり、野蛮人が進出してくる」――そんな時代認識は、今も昔も依然として変わっていないのかもしれない。=朝日新聞2024年5月25日掲載

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 櫻井成夫訳、講談社学術文庫・1122円。45刷7万5千部。1993年刊。原著は1895年にフランスで刊行。「集団の引き起こす事件・炎上や陰謀論などについて、気になる読者が多いのかも」と担当編集者。