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唇を噛んでいては口笛が吹けない 三上延

©GettyImages

 はっきり書かずにお茶を濁そうかとも思っていたが、前回の文章を書いている途中で、やはり避けては通れないと思い直した。第1回で触れた高校時代の文芸部のT先輩のことである。私にマルクス兄弟を教えてくれた人だ。第2回に書いたモンティ・パイソンの「ライフ・オブ・ブライアン」も、彼から教わった映画だった。
 私よりもずっと鋭いセンスの持ち主で、サブカルチャー全般に詳しかった。繊細で頭の回転が速く、ハッとするような気の利いた言葉を口にする人だった。映画について、音楽について、本について、10代だった私は彼から多くを教わり、強く影響を受けていた。私にとってもう一人の兄のような、メンターのような存在だった。
 彼は10数年前に亡くなっている。自死だった。

 高校を卒業した後も、細々と私たちの交友関係は続いていた。やがて私は小説家になり、彼はミュージシャンとして活動していた。私は古い友人の一人というだけで、決して彼の親友だったわけではない。ただ、生活の保障のない、不安定な道を選んだという共通項から、互いに仲間意識を抱き続けていたとは思う。
 半年に一度ぐらい、高校時代の文芸部のメンバーで飲み会があり、顔を合わせてはいたが、彼と真面目な話はほとんどしなかった。いつもどうでもいい冗談ばかり言い合っていた。今でも憶えている彼の冗談は大半は下ネタで、残念ながらここに書けないものばかりだ。
 けれども亡くなる数年前、2軒目の居酒屋に行く途中で、ふと何気ない調子で「10代の頃は色々なものになれると思っていたけど、もう宇宙飛行士にはなれないんだよなあ」と彼が呟いたこと、自分が軽く息を呑んだことを憶えている。何かを言わなければいけない気はしたが、結局その場では何も言えなかった。
 彼の苦しみがどんなものだったのか、それについてここでは触れない。はっきり本人から聞いたことはなく、すべては伝聞と想像だからだ。彼のために何かできたのではないか、という思いは私の中で長年にわたって尾を引き続けた。ようやく最近になって、仮に何かができたとしても、それがいつだったかを当時の私は知りようがなかった、という苦い結論に至った。

 彼と最後に話した時、私は結婚を考え始めていた時期だった。そのことを伝えたかどうか記憶にない。文芸部の飲み会でいつものように酔っ払っていた。
 もし彼が披露宴に出席してくれていたら、間違いなく私は友人代表のスピーチを頼んでいたはずだ。きちんとスピーチをしてくれる友人は大勢いたが、私という人間を遠慮なく笑いのネタにして、私本人をも笑わせてくれそうな友人は彼しかいなかった。
 亡くなったという知らせが舞いこんだのは、披露宴の招待客を選んでいる最中だった。

 今でも数年に一度は墓参りに行っている。
 つるつるした墓石の下に彼がいると思うと、いつも変な笑いが出そうになる。まだ何かの冗談みたいな気がしてならないのだ。しばらく近況を語るけれど、当然ながら彼から何も返答はない。
 もう二度と会話することはないと思う時、今でも私は唇を噛みそうになる。
 けれども、唇を噛んでいては口笛が吹けない。「Always Look on the Bright Side of Life」も歌えないのだ。
 彼のことが好きだったなと思いつつ、今日も私はかろうじて前を向き、変な笑いを浮かべて口笛を吹く。心の中ではエリック・アイドルが歌っている。

 人生の悪い部分を噛みしめている時は、愚痴なんかこぼしてないで、口笛を吹こう――。

 そして、人生の輝かしい面だけを見ていこう――本当にそんな風にして、私はこれからも生きていくと思う。

    ◇

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