2024年のセ・パ交流戦初日は雨天中止だった。
その翌日、わたしは甲子園……ではなく新潟へ向かっていた。
阪神タイガースとオイシックス新潟アルビレックスBCのファーム交流試合を観るためだ。
ファームとは育成中の若手選手と、故障や調整中の中堅、ベテランが1軍を目指して切磋琢磨する場。
逆に言うと、ここで活躍できなければ自由契約=戦力外になる。
1試合目の球場は、最寄りの駅から車で20分以上の山間にある三条市民球場(三条パール金属スタジアム)。内野がそこそこ埋まるほど、黄色いユニフォームの人がいる。この日の入場者数は977人、平日としては普段の倍近い。間違いなく阪神ファン効果だ。
新潟で観た2試合は、4番で佐藤輝明選手が出場していた。5番には井上広大選手もいる。
つい最近まで1軍のスタメンだった2人だ。
佐藤輝明選手は昨年のセ・リーグ優勝において、大きな貢献を果たしたひとり。
「4番 佐藤輝明」とアナウンスが流れた瞬間、客席の拍手はひときわ大きくなった。
1軍の試合と違って、ここには応援団はいない。当然ヒッティングソングやチャンステーマも流れない。パラパラとした拍手、たまに選手の名を呼び掛ける声が聞こえるくらい。
青空のもと、バットの快音が響く。
どよめく客の声、選手の駆ける足音、静けさの中、いろんな音が飛び交う。阪神に点が入ると、まばらに「六甲おろし」の歌声が流れた。
冷たい飲み物で涼をとりながら、ふと思う。
ファーム戦とは、熾烈なプロの生き残りゲームだ。
1軍と違って、ここでダメなら、もう後はない。
のんびりとした客席の鼻先にある別世界のグラウンドには、華やかな1軍の舞台とはまた違う、緊迫した空気が張り詰めていた。
新人歌手は新曲を出す度、キャンペーンと称して地方のテレビ局やラジオ局、新聞社を行脚する。
わたしが歌手デビューを果たした18歳の頃、ある地方イベントで同期の歌手の方々と一緒になる機会があった。
用意された控室は大きめの部屋がひとつ。全員ここでメイクや着替え、食事を済ませる。
わたしは部屋の入り口の椅子に座って、誰とも話さずに本を読んでいた。
「あの子、感じが悪い」と思われても仕方ない。いや、思われていたはず。
「あんた、めちゃくちゃ感じ悪いわ」と自分に言いたい。
あの頃の自分を擁護すると、人と話す余裕が一切なかった。
どこにも自分の居場所がなく、本の世界に逃げ込むしかなかった、
そんなガチガチな新人歌手だった。
三浦しをん『格闘する者に〇』は著者のデビュー作で、主人公の大学生・可南子が突入する過酷な就職戦線の物語。
連戦連敗、内定はゼロ。しかし彼女は自分自身を俯瞰している。語り口はユーモラスで、悲壮感はあまり感じない。
デビュー作と思えない伸びやかな文章で、友人たちのキャラクター、年上の恋人とのエピソードなど、細部にわたって読ませる。
小説としての魅力は多々あるが、不定期にこの本を読み返したくなるのは別の理由がある。
わたしは就職活動というものをしたことがない。
15歳で芸能界に入った後、数えきれないオーディションという関門は潜ってきた。
半年くらい先の仕事の目途はつくけど、その先はわからない生活を30年以上続けている。
不安定な世界で、頼れるのは自分しかなかった。心折れそうな時もある。
その度、書棚に並ぶ『格闘する者に〇』というタイトルに手が伸び、読みふけった。
まるで深夜に昔のアルバムを見直すように。
いまも格闘している自分を鼓舞するために。
ファームで格闘する選手たちも、誰だって力を尽くしている。
だけどこの中から1軍に呼ばれる者がいて、そうでない者がいる。
呼ばれる理由は実力以外にも、1軍の強化方針やけが人発生などのチーム事情だったり、運だったりする。
そして今年中に、何名かはチームを去っていく。それがプロの世界。
夢を見た世界は決して楽じゃない。可南子は立ち止まったらそこで終わる、とわかっているのだ。
高みを目指し、泥だらけで闘う選手たち全員に心から〇を送りたい。
闘いに挑み続ける姿勢がなければ生き残れない、本と野球がそう教えてくれた。