1. HOME
  2. コラム
  3. 中江有里の「開け!本の扉。ときどき野球も」
  4. 後がなくても前を向いて挑む人々へ、三浦しをん「格闘する者に〇」 中江有里の「開け!野球の扉」#15

後がなくても前を向いて挑む人々へ、三浦しをん「格闘する者に〇」 中江有里の「開け!野球の扉」#15

(Photo by Ari Hatsuzawa)

 2024年のセ・パ交流戦初日は雨天中止だった。
 その翌日、わたしは甲子園……ではなく新潟へ向かっていた。
 阪神タイガースとオイシックス新潟アルビレックスBCのファーム交流試合を観るためだ。

 ファームとは育成中の若手選手と、故障や調整中の中堅、ベテランが1軍を目指して切磋琢磨する場。
 逆に言うと、ここで活躍できなければ自由契約=戦力外になる。

 1試合目の球場は、最寄りの駅から車で20分以上の山間にある三条市民球場(三条パール金属スタジアム)。内野がそこそこ埋まるほど、黄色いユニフォームの人がいる。この日の入場者数は977人、平日としては普段の倍近い。間違いなく阪神ファン効果だ。

 新潟で観た2試合は、4番で佐藤輝明選手が出場していた。5番には井上広大選手もいる。
 つい最近まで1軍のスタメンだった2人だ。
 佐藤輝明選手は昨年のセ・リーグ優勝において、大きな貢献を果たしたひとり。
 「4番 佐藤輝明」とアナウンスが流れた瞬間、客席の拍手はひときわ大きくなった。

 1軍の試合と違って、ここには応援団はいない。当然ヒッティングソングやチャンステーマも流れない。パラパラとした拍手、たまに選手の名を呼び掛ける声が聞こえるくらい。
 青空のもと、バットの快音が響く。
 どよめく客の声、選手の駆ける足音、静けさの中、いろんな音が飛び交う。阪神に点が入ると、まばらに「六甲おろし」の歌声が流れた。
 冷たい飲み物で涼をとりながら、ふと思う。

 ファーム戦とは、熾烈なプロの生き残りゲームだ。
 1軍と違って、ここでダメなら、もう後はない。
 のんびりとした客席の鼻先にある別世界のグラウンドには、華やかな1軍の舞台とはまた違う、緊迫した空気が張り詰めていた。

 新人歌手は新曲を出す度、キャンペーンと称して地方のテレビ局やラジオ局、新聞社を行脚する。
 わたしが歌手デビューを果たした18歳の頃、ある地方イベントで同期の歌手の方々と一緒になる機会があった。
 用意された控室は大きめの部屋がひとつ。全員ここでメイクや着替え、食事を済ませる。
 わたしは部屋の入り口の椅子に座って、誰とも話さずに本を読んでいた。
 「あの子、感じが悪い」と思われても仕方ない。いや、思われていたはず。
 「あんた、めちゃくちゃ感じ悪いわ」と自分に言いたい。
 あの頃の自分を擁護すると、人と話す余裕が一切なかった。
 どこにも自分の居場所がなく、本の世界に逃げ込むしかなかった、
 そんなガチガチな新人歌手だった。

 三浦しをん『格闘する者に〇』は著者のデビュー作で、主人公の大学生・可南子が突入する過酷な就職戦線の物語。
 連戦連敗、内定はゼロ。しかし彼女は自分自身を俯瞰している。語り口はユーモラスで、悲壮感はあまり感じない。
 デビュー作と思えない伸びやかな文章で、友人たちのキャラクター、年上の恋人とのエピソードなど、細部にわたって読ませる。
 小説としての魅力は多々あるが、不定期にこの本を読み返したくなるのは別の理由がある。

 わたしは就職活動というものをしたことがない。
 15歳で芸能界に入った後、数えきれないオーディションという関門は潜ってきた。
 半年くらい先の仕事の目途はつくけど、その先はわからない生活を30年以上続けている。
 不安定な世界で、頼れるのは自分しかなかった。心折れそうな時もある。
 その度、書棚に並ぶ『格闘する者に〇』というタイトルに手が伸び、読みふけった。
 まるで深夜に昔のアルバムを見直すように。
 いまも格闘している自分を鼓舞するために。

 ファームで格闘する選手たちも、誰だって力を尽くしている。
 だけどこの中から1軍に呼ばれる者がいて、そうでない者がいる。
 呼ばれる理由は実力以外にも、1軍の強化方針やけが人発生などのチーム事情だったり、運だったりする。
 そして今年中に、何名かはチームを去っていく。それがプロの世界。

 夢を見た世界は決して楽じゃない。可南子は立ち止まったらそこで終わる、とわかっているのだ。
 高みを目指し、泥だらけで闘う選手たち全員に心から〇を送りたい。
 闘いに挑み続ける姿勢がなければ生き残れない、本と野球がそう教えてくれた。