ISBN: 9784791776320
発売⽇: 2024/03/23
サイズ: 13.7×19.6cm/538p
「アンチ・ジオポリティクス」 [著]北川眞也
空前の地政学ブームだ。地政学とは、地理的な条件を軸に、国と国との関係や国家戦略を分析する知のことで、近現代には戦争や領土拡張、植民地支配と結びついた。
第2次大戦後はタブー視されてきたが、今年1月、政治リーダーが集結するダボス会議が「地政学リスク」をテーマに掲げるなど、再び関心を集めている。地政学リスクを分析し、企業にリスク回避の処方箋(せん)を提示するコンサルティング業務も盛んだ。先行き不透明な時代にあって、地理という政治に左右されない「不変」に指針を求める人が多いということでもあるだろう。
地政学的思考にはまり込んでいくと、あたかも世界は、領域国家のみから構成されているかのように思えてくる。「世界」というパズルに、「国家」というピースを一つ一つはめこんだように描かれている地図は、この観念を強化してきた。
新しい地理学は、地図の自明性を疑い、何が描かれていないのかを問うことから始まる。地理とは客観的かつ不変の条件などではない。それは、世界のいっさいの存在を可視化し、統治できると自負する権力の産物である。
「反地政学」を大胆に掲げる本書は、地図には描かれようもない、国境を越える人々の移動の軌跡をたどり、支配と権力の道具でない、新たな地理を探求する。
善き生を求めてヨーロッパをめざし、収監・保護されても、最低限以上の生を求めて逃走を図る移民。物流センターでの過酷な労働に抗議し、ストライキする労働者。地政学的思考のもとでは、国境を侵犯し、グローバルな流通を攪乱(かくらん)するこれらの人間行動は「リスク」でしかない。しかし著者は、既存秩序に挑戦する、こうした逸脱的な人間行動の蓄積こそが世界を変容させ、新たな地理の可能性を切り開くと主張する。
世界の変革はしばしば、地政学では捉えきれない欲望や情動に促される。その例がパレスチナ問題だ。本書は、イスラエルがパレスチナへの物流を制御する「占領のロジスティクス」を駆使して、この地を地図から消そうとしてきた過程を克明に描き出す。
しかし世界はいよいよ、長年の不正義への反乱を目撃している。パレスチナから遠く離れ、同地に利害関係も持たず、ただ不正義に怒れる市民たちによるイスラエルと関連企業へのボイコットは国境を越えて広がり、パレスチナを国家承認する動きも進む。
不正義の地図を描き直そうとする試みが各地で重層的に進行する世界。その変容を把握し、正義を探求する視座を求める人に必須の書だ。
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きたがわ・しんや 1979年生まれ。三重大人文学部准教授(政治地理学、境界研究)。著書に『交差するパレスチナ 新たな連帯のために』など。