若年層を中心にその存在感を高めるVTuber(バーチャルユーチューバー)。実在の人物ともアニメのキャラとも違うその存在の不思議さについて、真正面から学術的に考察した「VTuberの哲学」(春秋社)が出版された。著者の山野弘樹さん(29)は、バーチャルな存在と人間が関係をつくる出発点になることを展望する。
ユーチューバーといえば動画配信によって生計を立てる人たちだが、中でもVチューバーは、主にアニメのようなキャラクター画像を自身の姿として配信する人たちを指す。配信者は、声を吹き込んだり、キャラと自身の動きが連動するモーションキャプチャーを使って踊ったりして、ファンを楽しませる。
東京大学大学院博士課程に在籍する山野さんは、主にフランスの哲学者ポール・リクールを研究。博士論文を執筆中の気鋭の研究者でありつつ、Vチューバーの熱心なリスナー(鑑賞者)という顔も持つ。本の中でも個別の配信の事例に即した考察が目立つ。「リスナーの直観を一部でも客観的に体系化したかった。多くのリスナーが明確に言語化していなかったことを哲学的に分析した」と語る。
山野さんが着目したVチューバーの独自性とはなにか。たとえばユーチューバーは実在の姿をさらしながら配信し、現実世界に根ざした存在であることは明白だ。一方で、アニメやドラマのキャラクターはフィクションの世界のものとして鑑賞者に楽しまれている。
ところがVチューバーは、見た目は明らかにリアルではないが、実在する配信者の言動に根ざしており単にフィクションと整理することもできない。山野さんの研究はこの不思議さに着目した。
Vチューバーはいったいどんな存在なのか。米国の哲学者ジョン・サールの議論を参照し、山野さんは「単に自然的に存在する事物ではなく、ある制度や条件の中で成立する社会的な存在」である「制度的存在者」だと考えた。紙幣を例に取れば、印字された紙片という物理的条件だけでは流通せず、紙幣という「地位機能」を持つと社会的に「宣言」されることで成り立っているという主張だ。
山野さんはこうしたサールの説を参考に、人間のアイデンティティーに関するリクールの論を導入しながら、Vチューバーという「地位機能」がどのように成り立っているのかを論じていく。
矢野経済研究所によると、広告収入や関連グッズ販売などからなるVチューバーの市場規模は、2023年度に国内で800億円に達したと見込まれる。コロナ禍以降、自宅で動画を楽しむ人が増えたことで急成長した。
学術的な考察の対象にもなっており、岩波書店は社会学や哲学などの専門家が執筆する学術書「VTuber学」を8月に刊行する予定だ。山野さんも執筆陣に加わる。
Vチューバーの認知度が高まる一方で、山野さんはある危機感も覚えている。「一般にはVチューバーを『虚構のキャラ』と誤解し、人格がないかのように扱う誹謗(ひぼう)中傷もいまだ目立つ。Vチューバーは実在している行為主体であることを哲学的に示すことには意義がある」と話す。
Vチューバーに限らず、バーチャルな存在が社会に広まっている。商業施設では画面に映し出されたキャラクターが、人間のように接客するサービスを目にするようになった。AI(人工知能)の進歩でこうした存在と「対話」する機会も増えるだろう。
「私たち人間と、バーチャルな存在がどうやって倫理的な関係を結ぶのかを考えていきたい。今回の本は基礎的なことを考えた出発点に過ぎないし、唯一の正解ではない。今後の議論を深めるきっかけになればいい」(女屋泰之)=朝日新聞2024年7月10日掲載