2024年7月15日、わたしは東京ドームにいた。
巨人とのカード初戦は2-0で阪神の完封勝ち。先発ビーズリー投手は6イニングで八つの三振を奪う圧巻のピッチング。
「貧打」と揶揄された打線も7月に入ってから繋がり始めている。
昨年と違って混戦気味のセ・リーグ、毎日が一進一退。阪神の勝敗に心揺さぶられてばかり。
試合中、画面に映る岡田監督の重苦しい表情が、今季の阪神を物語るようだ。
この日はデーゲームに引き続き、伝統の一戦~レジェンズOB対決が開催される。そのまま居残れば同じ席で観戦できる。
1日で2戦見られる、しかもレジェンドたちの対決。海鮮鍋を食べたあと、出汁でつくる雑炊がついてくるよう。野球を味わい尽くす1日。
OB戦のスターティングメンバ―発表は、名前が読み上げられる度、スタンド全体から大きな拍手が起きた。どちらのファンとか関係なく、みんな野球ファンだ、と感じる。
能見篤史さんの美しいワインドアップと力強い投球。心の中で「明日の試合、1イニングいけるんじゃないか?」とつぶやく。
鳥谷敬さんや糸井嘉男さんのユニフォーム姿、プレーともに現役同様ではないか!
掛布雅之さんや田尾安志さんはヒットを打った! 阪神OB大活躍だ。
藤川球児さんが登板する際は、現役時代の登場曲(「every little thing every precious thing」)が流れた。ビジター球場では異例の粋な演出。
10年ぶりのOB戦は5回で終わるエキシビションマッチ。
結果は3-2で巨人OBの勝ち。
ペナントレースのような緊迫感はない。代わりに笑顔と拍手が絶えない時間だった。
なつかしい応援歌を歌い、OB選手の名前入りタオルを掲げるファンも多かった。
かつて死闘を繰り広げた選手たちが走り(歩き?)、少々よろめきながらボールを追う姿を見ながら、こみ上げる感情がある。
アメリカ文学を代表する作家、カート・ヴォネガット『これで駄目なら』。副題には「若い者たちへ―卒業式講演集」。
ヴォネガットは大学を卒業していないが、大学の卒業のスピーチをする人物として人気があったという。卒業の講演というと堅苦しいものを想像されるかもしれないが、ヴォネガットはスピーチで難しい言葉は使わない。冗談と挑発、教師をはじめとする目上の人への感謝が込められている。
わたしが最後に卒業生となったのは10年前。30代で入った大学を卒業する時だった。
あの頃を思い出しながら、ヴォネガットの言葉を読む。
「君たちが授かることができた一番素晴らしくて一番価値あることは――君たちに何かを教えてくれた人物についての思い出だ」(8 芸術家がすべきこと)
教えてくれる先生や先輩、先達者がいてくれるありがたさ、自分の至らなさを痛感する。
15歳で社会に出たので、ずっと仕事現場では一番年少だった。
やがて年長の部類に入った。そこそこ経験は重ねたけれど、人を引っ張るほどの力もない。
誰に言われたわけじゃないけど、これでいいのか? とも思う。
デビューして今年で35年を迎えるが、確固とした自信がない。だから本ばかり読んでいる。
レジェンドたちは最初からレジェンドではなく、野球を始めて、やがてレジェンドとなった。
多くのレジェンドがいるから、今の球界がある。レジェンドは先生であり先輩、先達者だ。
翻って自分はまだまだだと思う。でもそれは「逃げ」。
先を行く者にしかできないことがあるとわかっていても、自信がなかったり(面倒だったり)、誰かに教えたり、導く立場にはなれない、と逃げ腰になってしまう。
レジェンズOB会の試合途中、私服に着替えた岡田監督がベンチにあらわれた。他のOBたちと歓談する岡田監督は試合では見られない柔和な笑顔を浮かべている。思わずこちらの口元もほころぶ。
こんなに無邪気な表情は現役選手には見られない。プロは人生を賭して戦っているのだから当たり前だ。
きっとレジェンドたちは、勝負を離れた今だから野球の面白さ、楽しさを存分に味わえるのだろう。
人間はひとりではどうにもならない問題や苦しみを解決したくて、誰かに教えを乞う。
挑戦と失敗を繰り返し、やがて学びを自分のものにしていく。そうして試行錯誤を越えたあとに、純粋な喜びや楽しみが残るのだろう。
レジェンドたちがその姿で伝えてくれた野球の楽しさのように、自分のやっていることの楽しみや喜びを忘れずに、いずれ誰かに伝えていきたい。
「やらなきゃいけないことはたくさんある。やり直さなきゃいけないこともたくさんある」(9 自分のルーツを忘れないこと)
年月も場所も超えて聞こえてくる、ヴォネガットのスピーチのように。