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永井玲衣さん「13歳からのきみへ スヌーピーの自分らしく生きることば」インタビュー “他者”と共にぐるぐる悩もう

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「ピーナッツ」と13歳

――「だれが悪いひとでだれがいいひとかなんて、だれが言えるのさ?」「これはぼくのほんとの人生だろうか、それともただの予告編か?」……本質を突く『ピーナッツ』の仲間たちのつぶやきに心を射抜かれます。永井さんが本書に関わるきっかけは?

 もともと母が『ピーナッツ』が好きでコミックが家にあり、小学生の頃から読んでいました。谷川俊太郎さんの訳も好きでした。谷川さんの詩の朗読テープを聴いたり、高校か大学のときにはスヌーピー関係のイベントが本屋さんであると知り、谷川さんのお話を聞きに行ったりしたこともあります。そんなふうに親しみを持っていたところ、“13歳へ届けたい”と編集者さんからご連絡をいただき、一つひとつの言葉に文を書くことになりました。

――13歳は、中学1年生くらいですね。どのように意識しましたか。

 実際に文を書く前に、本作りに関わる人たちと対話の時間を持ちました。一般的な「13歳」じゃなく “みなさんがどんな13歳だったか”を教えてくださいと。編集者さんたちが「そういえばこんなことがあった」と具体的なエピソードを話してくれて、ちょっとずつ“13歳の顔”が見えてきました。

 それは決してドラマチックだったり、わかりやすかったりするものではなく、日々のやりきれない思いや、ぽつりとしたさみしさのようなものが伝わってくる“13歳”でした。“私たちの13歳”を見つけたことで、「13歳って、小手先の口当たりのいい言葉じゃ、そう簡単に納得してくれないぞ」と気づいたんです。そんな思いを持って本作りをしていきました。

「ピーナッツ」の仲間たち(『13歳からのきみへ スヌーピーの自分らしく生きることば』より)

“ままならなさ”の強烈な手ざわり

――10代の頃に読んだ『ピーナッツ』の印象はいかがでしたか。

 「子どもの実態が描かれている」と直感的に感じました。子どもって、大人が勝手にイメージするような、元気で純粋でくだらないことで悩んでいる無垢な存在じゃない。もっとずっと複雑だし、大人に負けないくらい本気で悩んでいて、言葉にできない孤独やもどかしさを抱えている。作者のシュルツさんは子どもを写実的にとらえていると思いました。

 すべてのエピソードを理解できていたわけじゃないんですよ。でも「ああ、でも子どもにも悲しいこと、あるよな」と強烈な手ざわりだけが残る。「そうだよな。子どもってこんなふうに描かれてもいいよな」と思ったのをおぼえています。

「両親はオールAをとれない子でも、ほんとに愛せると思う?」(『13歳からのきみへ スヌーピーの自分らしく生きることば』より)

――心に残っているシーンや登場人物は?

 「安心毛布」を手放せないライナスが、ぐるぐる悩むけれど、お姉ちゃんのルーシーに全然相手にされなくて「だから何?」と言われて、何も解決しない(笑)。チャーリー・ブラウンも、恋や野球や「自分とは」に悩んで悩んで……だけどアウトプットがうまくいかなくて、決断も何もできないまま流れていっちゃう。その“ままならなさ”の感触はすごくおぼえています。

 あと私は一時期、学校に行けなくなったときがあって。サリーも学校に行くのが不安な子で、兄のチャーリー・ブラウンに宿題を押しつけたり「なぜそんなことをおぼえなきゃなんないの?」と言ったりします。でもサリーは特別に “周りを困らせる子”じゃなく、「不安なことってあるよね」というふうにサラッと描かれ、安心した記憶があります。

 ルーシーは口うるさい皮肉屋で、昔読んだときは好きじゃなかったんです。でも大人になって読み直すと、ルーシーって自分の気持ちに正直だし素直なんですよね。今の方が、ルーシーが好きだし、今なら彼女の気持ちがわかります(笑)。

ひとりで何もかも考えなくていいんだよ

――「わたしは13歳のころがっかりした子どもだった。(略)ルーシーみたいに怒っていたし、チャーリー・ブラウンみたいに悩んでいたし、サリーみたいに不安をかかえていた」と「まえがき」に書かれています。

 自分にも周りにもがっかりして、生きていくことが不安でいっぱいでした。社会の理不尽さにうちのめされ、「これから、ひとりで何もかも決めなきゃいけないんだ」とモヤモヤしていました。13歳の私は、“誰かと一緒に考える”選択肢があると思っていなかったんです。「未熟な考えをそのまま表現していい」とか「自分だけで悩むんじゃなく、誰かに一緒に考えてもらっていい」という発想がなかったです。

「もっとがまん強く、ひとと仲良くなれるようにいのってたの、でもやめたわ…」(『13歳からのきみへ スヌーピーの自分らしく生きることば』より)

 大学で哲学を学び、哲学対話を知り、自分でも対話の場を開いてきました。子どもから大人までさまざまな反応があるけれど、ときどき対話が終わったあとに「私も、考えてもよかったんですね」とボロボロ泣く方がいるんです。大人も、ひとりで悩まなきゃいけないと抱えこんでいる方が多いんだなと思います。

――確かに「自分で考えなければ」と思い詰めている人もいるかもしれません。

 伝えたいのは、「考えるとか、悩むとか、ひとりきりでやるものだというイメージがあるけれども、共に考える、共に悩むことができるんだよ」ということです。人と悩んだり考えたりはもちろんだけど、人じゃなく、この本や他の本と一緒に悩むことだってできるんだよと。だから本書が「もっと一緒に考えてみようよ!」と手を引っ張るような……そんなものになったらいいなと思っています。

「問い」をつぶやく仲間たちとぐるぐる悩もう

――永井さんも本が救いになった経験がありますか?

 もちろん本はずっとそばにありました。好きだったのはリンドグレーンの『はるかな国の兄弟』です。フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』や宮沢賢治の童話も好きでした。三島由紀夫や太宰治の作品も手にとったけれど、そこまで意味がわからなかったのをおぼえています。でも文字を目で追う間は、頭の中で刺激を受けた何かがぐるぐるしているし、読んだり考えたりした経験が消えるわけじゃないと思っています。

 この本もぼんやり眺めているその一瞬、ぐるぐると考えていた時間が少しはあるはずで、手に取った人が内容を忘れてしまったと思っていても、その人の中の、時間が消え去るわけじゃないと思います。

――永井さんの文を読むと視点が変わり、言葉がより味わい深いです。

 『ピーナッツ』の仲間たちは「答え」をくれるのではなく「問い」をつぶやきます。例えばチャーリー・ブラウンが「ぼくはぼくであることでひとに好かれたい」と言います。古来いろんな人が悩んできた普遍的なテーマで、大人の哲学対話でもしょっちゅう出る問いです。

 最高なのは「ぼくってだれ?」とルーシーが聞き返す終わりのコマ(笑)。こんな『ピーナッツ』らしいセリフにクローズアップしたいと思いながら、文を書きました。

「ぼくはぼくであることで、ひとに好かれたい……」「ぼくってだれ?」(『13歳からのきみへ スヌーピーの自分らしく生きることば』より)

 悩みって、個人のものにされやすい。「チャーリー・ブラウンは悩みすぎだよね」とチャーリー・ブラウンの資質の問題にしちゃったら、すぐ話は終わっちゃうんですよね。

 ルーシーが、シュローダーに「もし同じものが好きなふたりだったら、そのことで彼らは親しくなれると思う?」と言うシーンがあります。人によっては「ルーシーったらピアノ好きじゃないのに、(ピアノが好きなシュローダーに)強引に迫っちゃって」ととらえるかも。でも私が書いたのは、「好きな映画が同じだったら親しくなれそうだけど、好きなひとが同じだったらなんだか親しくなれなさそう。似ているのに全然ちがうのはなぜ?」ということ。悩みを普遍化して考えようよと文で誘いました。

わたしの人生、でも手助けは必要!

――「わたしの人生よ、それを生きるのはわたしよ!!」と叫ぶルーシー。永井さんはこう書いています。「ラストで『ちょっとした手助けはいるけど…』と言って、ニヤリと笑うルーシー。わたしは、彼女のこの一言がとても大事だと思う。わたしの人生をわたしが生きることと、まわりに手助けをしてもらうことは、矛盾しない。むしろセットなのだ」。

「わたしの人生よ、それを生きるのはわたしよ!!」(『13歳からのきみへ スヌーピーの自分らしく生きることば』より)

 あなたの悩みはあなただけの問題じゃないし、ひとりで抱えることじゃない。一緒に考えたい人はたくさんいるよ、と伝えたい。答えがすぐに見つからなくても、ぐるぐる誰かと悩むだけでもほっとした気持ちになることを『ピーナッツ』の仲間たちは教えてくれます。

 私は哲学者を名乗っているけれど、世の中をみなさんよりも知っているわけじゃない。わからないまま「自分が不思議だと思うこと」「哲学対話の現場から聞こえてきた声」を思い出しながら、『ピーナッツ』と10代を繋ぐ文を書きました。

 ぱらぱらめくってコミックだけ読んでも、私の書いた文と一緒に読んでもいい。好きなところから読んでほしいです。そして、「ひとりで悩んでないで、こっちで一緒に考えよう!」「あなたは、どう思う?」と聞いてみたいなと思います。