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知らない時代 柴崎友香

 便利な機械が増えて自由な時間が増えるかと思ったらかえって忙しくなった、たとえば携帯電話やメールでいつでも連絡がつくようになってすぐ対処しなければならなくなったり、とインタビューで答えているとき、取材に来てくれた編集者さんもライターさんも若い方だったので、「携帯電話が出始めて最初のころは速く移動する電車内や地下ではつながらなかったのですが、知ってますか?」と聞いてみたら、やはり、知らなかった、とのことだった。

 その少し前、私より二十歳以上若い人と話していて、「パソコン通信」が通じなかった。インターネットが普及する前にパソコン通信というのがあって、と自分自身詳しくはないのでおぼつかないまま説明した。そのことを思い出したのだった。

 ものごころついたときには、携帯電話もインターネットも生活に欠かせないものとして存在していた世代の人は、それがなかった時代があるとは知っていても、移り変わっていく時期のことを知る機会は少ない。あるいは、ある部分だけ強調されて伝わって、その印象が強くなることもある。ショルダー式の大きな携帯電話はテレビ番組などでよく見るけれど、当時私は本物を持っている人を見たことはなかった。

 長く生きてるってこういう感じなんやなあ、と思う。子供の頃、テレビに映る二世俳優について、世代が上の人たちがその親の俳優のことをあれこれ話すのを聞いていたが、その立場になったとしみじみする。

 興味があるのと小説に書くために、自分の記憶が定かでない時代、生まれる前の時代のことをよく調べる。年表を見、事件の記録や流行を調べる。だいたいは把握できたと思っても、当時の人々が移りゆくあれこれをどういうふうにとらえていたのか、実感することは難しい。さらには、自分自身が経験したはずの少し前のことさえ、人によって実感が違っていたり、自分も忘れていたりする。その複雑さを、どう小説に書けるか、いつも考えている。=朝日新聞2024年9月4日掲載