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ハンナ・アーレント 危機の時代に抗う「複数性」の思考 矢野久美子

ハンナ・アーレント(1906~75)。44年、フレッド・スタイン撮影

 人と人とが交わす言葉、互いに織りなす関係が、このところ粗末に扱われていると感じる。「公的代弁者によるきわめて効果的な空話と無駄話」や「ものの本質を暴くのではなくそれを絨緞(じゅうたん)の下に押しこんでしまう言葉」といった政治哲学者ハンナ・アーレントの表現が、目下の状況を指しているかのように響く。言葉や現実に対する地球規模のケアレスネスは深刻だ。そうしたなかで、無力感に圧倒されずに抗(あらが)いの身ぶりをとることは、いかにして可能だろうか。

不確かな弱い光

 破局の20世紀を生き、『全体主義の起原』や『人間の条件』を著したアーレントには、1968年に出た『暗い時代の人々』(阿部齊〈ひとし〉訳、ちくま学芸文庫・1540円)という一冊がある。これは理論や概念を論じたものではない。差別と専制に支配された暗い時代に少数の人々が灯(とも)した「不確かでちらちらとゆれる、多くは弱い光」をテーマとしている。レッシングからランダル・ジャレルまで、10人の表現者に関するエッセーをまとめたものである。アーレントの思想のエッセンスを主著とは別の方向から知ることのできる作品であると思う。人と人の間にある世界が失われるときに、その危機にいかに抗うかが具体的に提示されている。

 同書を通じてつねに感じることは、人々の仕事や業績には還元されない部分に、あるいはテーゼとして要約できない部分に、彼女は人間の尊厳と「無尽蔵な源泉」を見ていたということだ。「あらゆる人間は、かれがなしあるいは達成したことが何であれ、それ以上のものである」。だからこそ、彼女の思考のなかでは人間の「複数性」が重要な役割を果たしている。批判や失敗や過ちと同時に、語り合いや許しがどのようにしたら可能になるのかが問われている。一度の衝突での断絶は、そこに生じ得た可能性を失わせるのである。

「哲人市民」たれ

 そうしたアーレントの感受性を知る手掛かりは、彼女が多くの友人たちと交わした書簡のなかにもある。『アーレント=ヤスパース往復書簡 1926―1969』(全3巻、L・ケーラー他編、大島かおり訳、みすず書房=品切れ)や『アーレント=ブリュッヒャー往復書簡 1936―1968』(ロッテ・ケーラー編、大島かおり他訳、みすず書房・9350円)がいい。彼女にとって往復書簡こそ、そうした複数性に基づく友情の日常的な実践である。行き交う手紙のなかには、読んで打ちのめされるほどの批判的な意見交換もあれば、声を出して笑ってしまうようなユーモアに満ちた文章もある。前者には、師であり友人であるヤスパースとの間の、後者には、彼女の伴侶であり独学の哲学者ブリュッヒャーとの間の素晴らしい書簡が収録されている。

 ヤスパースは『戦争の罪を問う』(橋本文夫訳、平凡社ライブラリー=品切れ)というテキストを通じて、戦後ドイツの過去の克服に関して引かれることが多い。彼は、1946年の時点で「今日世界から最劣等民族と目されているものの精神態度」としてドイツ人の罪責について論じた。ところが、徹底的な反ナショナリストであったブリュッヒャーは、その姿勢すら「辱められた者たちとの連帯にではなく……ドイツ民族共同体との連帯的関係」に向かっているにすぎないと批判していた。これはもちろん、ヤスパースへの深い敬意に支えられてのことであったが。

 アーレントもヤスパースもブリュッヒャーも、政治と哲学はすべての人に関わることだと考えていた。とくにブリュッヒャーは、ソクラテスはプラトンのいう「哲人王」ではなく「哲人市民(フィロソファー・シティズン)」であったと論じている。「政治システムが変化するのは市民が変化するときにだけ」であり、「根底から開始し、長い旅程を経なくてはならない」。たしかに私たちは急いでいるが、アーレントも深く同意していたように、思考に近道はない。=朝日新聞2024年8月31日掲載