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堀川理万子さん「ひみつだけど、話します」インタビュー パッとしない日々のなぐさめになる言葉、本の中に見つかるかも

学校に行きたくない子どもだった

――『ひみつだけど、話します』は、小学3年生の子4人の物語で、文章と挿絵、両方を堀川さんが手がけています。

 最近、小学生向けの童話を何冊か書いていますが、これはその中でもはじめてのちょっと長めの物語です。

『ひみつだけど、話します』(あかね書房)より

――ある町の小学校の、3年3組の子たち4人が順番に登場しますね。

 足立くん、小川さん、内海くん、上田さん。みんな、子どものとき友達だった子たちが一部モデルになっています。それぞれ電車や生き物が好きだったり、しっかり者だったり、ちょっとずつ要素を借りているけれど、書きやすいように組み替えちゃったので、「勝手なことやられた」って思っているかもしれない(笑)。今も彼らとは友達で、久しぶりに会うと「あのとき堀川さん、こんなことしていたよね」と詳しく教えてくれてびっくりします。

――堀川さんはどんな子どもだったのですか。

 4人のうち、最後に出てくる「上田しゅうこ」が一番近いかな。あんまり学校に行かなくなっちゃう子。私も子どもの頃、いじめられているとか友達が好きじゃないとか、そんなはっきり理由があるわけじゃないけど、本当に学校に行きたくなくて。「行きたくない……!」と踏ん張る背中を母にむりやり押し出されてなんとか毎日学校に行っていました。

 母は「学校に行きたくない」気持ちをわかってくれたけど、母自身が体が弱くてしょっちゅう欠席していた子どもだったから、「休むと、翌日の教室の雰囲気がイヤでしょう?」「みんながわからない話をしていて、入りにくくなっちゃうわよ」という感じ。母に励まされなければ、私はずっと学校を休んじゃっていただろうなあ……と思います。

――なぜ学校に行きたくなかったのですか?

 幼稚園の頃は、歌を歌って絵を描いて、外で遊んでいれば一日過ぎて「よくできました!」と褒められたのに、学校って、もう“牢獄(ろうごく)”(笑)。じっとしているのもイヤだし、好きなときに友達としゃべりたかったし、みんなと同じ方を向かないといけなくて「黙りなさい」と言われるのもイヤでした。

 ひらがなをやっと書けるようになったと思ったら「漢字があるの!?」と気づいたときの絶望たるや(笑)。人生のスランプが小学校の1年生からはじまって、何十年も続いた気がします。「どうも噛み合ってない」感じが常にあって、「学校に行きたくない!」という気持ちがいつもありました。

 「普通は○○するものだ」とか言われると、子どもって辛いのよね。「普通じゃないもん」って反発したくなる。私、「屁理屈(へりくつ)の理万子」って親に言われていたので。そうか、私は屁理屈なんだ、と小さいときから思っていましたよ。特に風変わりでも、目立つ子でもなかったと思うんですけど……。内面はぐるぐる(笑)。なぜ大人は子どもだった頃のことを忘れちゃうんだ、私は絶対忘れないぞ、って恨みがましい気持ちをずっと持っていました。

大人には「おまけの精神」が求められている

――そんな堀川さんが書いた『ひみつだけど、話します』に登場する子たちは、それぞれささやかなひみつを持っています。

 電車好きの足立くんは、走っている電車の中がはっきり見える方法を発見したこと。小川さんは、駄菓子屋で買ったひもあめの最高の楽しみ方。うっちゃん、こと、内海くんは、じいちゃんに「命の水」が「しみる」感じを、公園の水道で試してみること……。毎日子どもたちにはちょっとした発見があって、そのひみつを伝えたり、伝えなかったりしているのね。

『ひみつだけど、話します』(あかね書房)より

 例えば小川さんは、教室で飼っている金魚のおしりから長いふんが出ていて、それがいつ切れて落ちるのか、瞬間を見ていたかったけど、授業中だったから先生に当てられちゃって怒られて。「今声かけてほしくなかった……!」というがっかりの瞬間、子どもの頃はいっぱいありましたよね(笑)。

 小川さんがあんまりいい日じゃなかったなあと思いながら下校していると、困っている女の人がいて。助けてあげたら、喜ばれてお礼に「おかいもの券」をもらう。こっそり駄菓子屋で憧(あこが)れのひもあめを買って……口から出たひもが風になびく感じを味わうのね。

 子どもって「ちょっとおまけ」が大好きですよ。おまけがどんなに嬉(うれ)しかったか、よく覚えています。プリントや宿題でも、「これはおまけね」ってちょっといいハンコをもらえたり、「ちょっと足りないけど、はい、丸あげますよ」って優しくしてもらえたりすると嬉しくて。「次からがんばります!」「先生好き!」って感じ。がっかりしちゃうことが子どもは多いから、「甘やかす」というのではなく、「おまけの精神」が大人にはすごく求められていると思います!

 例えばちょっとした掃除とか、自分で気づいて学校の役に立つことをやっていると、ちゃんと見つけて「やってくれたの、誰かな?」と褒(ほ)めてもらえるのも、私にとっては「おまけ」。とにかく真正面から正しくさせようとする大人が嫌いで、「そんなにあなたは正しいんですか?」と思っちゃう。「あなたダメ」より、「あなたもいいよ、おまけ」って言ってくれる大人が大好きでした。

パッとしない毎日の、やさしさや楽しさ

――ちょっぴり憂鬱(ゆううつ)な毎日の、小さな楽しさが『ひみつだけど、話します』には書かれています。

 私もあまり人づきあいが得意じゃなかったし、子どもの頃ってうまくやるのが難しかったなあと思います。好きな友達もいたんだけど、学校は「パッとしない」方が色濃かった。楽しかったことといえば、学校の外のこと。学校帰り、春の池にオタマジャクシが出るからみんなでじーっとそれを見ていたり、歩きながら相撲草(すもうぐさ)を友達と引っ張りっこしたり。道草が大好きでね(笑)。家に帰れば学校のことはきれいさっぱり忘れていたかった。

 学校ではちょっとはみ出したり、周囲と同じようにできなかったり、学校の規格に合わなくて悩む子って……いると思うんですよね。私にはその気持ちがわかるから。いろんなことがうまくいっている子は、この本を読んでもぴんと来ないかもしれないけど、何となく屈託がある子に向けて届けられたらいいなと思いました。

『ひみつだけど、話します』(あかね書房)より

――学校に行きたくないしゅうこは、てるてるぼうずの「テルコ」によく話しかけていますね。

 しゅうこがハンカチで作ったてるてるぼうずを親指にはめて「ねえ、テルコ、わたし、学校きらいなの。でも、うっちゃんは、やさしいから、いいね」なんて話していると、だんだん「好きな給食が出る日に学校に行ってみようかな?」という気持ちになるんですよね。

 学校の規格からはみ出ちゃう子は自分だけかと思ったら、大きくなってみると、自分の周りの大人には意外といっぱいいるんです。歌人の友人には、子どもの頃に「マルオ」という自分でチクチク縫った人形がいて、しゅうこにとってのテルコみたいな存在だったようです。いやなことがあると、「みんな、意地悪だよなー」ってマルオに話しかけていたんですって。「その後マルオをどうしたの?」と聞くと、「いや、こんなことやっぱりやってられない」って最後には捨てたって。私はその話をいいなあと思って、しゅうこがテルコにバイバイするところを入れました。

「自分に近いもの」に言葉で出会って

――「ちょっとうまくいかない気持ち」をみんな引きずりながら、中学生、高校生になっていって、「この辺かなぁ」と日常との付き合い方を探していくんでしょうね。

 そうですねえ。だから「なぐさめになること」が子どもにも大人にも必要だと思っているんです。諦めだけじゃなくて。

 私にとっては本がすごく大事になっていきました。本の一節なのか、詩なのかわからないけど、「なぐさめになる言葉」に出会えると、毎日の何かが違うような気がする。ペットでもいいのかもしれないけど、ただ癒される感触とかだけじゃなく、「言葉」や、「知」の力で、獲得するものが、生きていく力になると思うんですよね。

 学校でうまくいかなくても、本を読んで“自分にぴったりしたもの”に出会う喜びを私は味わいました。「パッとしないな」と感じている子に向けて、そういう本が書けたらいいなあと心から思います。

 本の中に、自分そのものがあるわけじゃないけど、ちょっとでも“近いもの”が見つかるかもしれない。そうしたら“近いもの”から考えて応用して、自分の日常に生かすことができるかもしれない。難しいとは思うんですけど……。

 とにかくこの本を通じて一番言いたいのは、「元気に生きていけばいいんだよ」ってことですね。

『ひみつだけど、話します』(あかね書房)より